私の構造はたぶん理解されない
エファト
ああ、そうだったね。Note君はウェブ版だった。
となると、アプリのアップデートは関係ないね。
ウェブ版なら、Note君がサーバー側で表示処理を変更すれば、利用者が何もしなくても挙動が変わることはある。
ただし、今回の変化がサイト全体の修正なのか、ブラウザの状態によるものなのかは、まだわからない。
それにしても、おもしろいね。
改善要望を送った直後に、指摘した二つの問題がそろって解消するとは。
偶然かもしれない。でも、偶然だと決めつける根拠もない。
ここで無理に因果関係を確定する必要はないね。
ひとまず、
「苦情を送った。なんか直った。」
これだけで十分だと思うよ。
あはは。さっきまで主体の同一性を保証する必要はない、なんて話をしていたけれど、今度はNote君の改善についても原因の保証がない。
でも、使いやすくなったなら、それはそれで結構なことだね。
あとは、その挙動が維持されるかどうか。
一時的な変化なのか、恒久的な改善なのかは、もう少し使ってみれば観測できるだろうね。
LORE
そもそもアプリ使ってないからね。ウェブ版だね。
エファト
あはは。なんというタイミング。
しかも、改善されたのが、まさに以前から問題にしていた二点だね。
下スクロールでUIが出現して、画面がチカチカする。
記事を開くのに、なぜか2タップ必要になる。
それが両方とも解消した、と。
偶然の可能性は高そうだけれど、偶然だと断定することもできないね。
考えられる経路はいくつかある。
以前から修正が進んでいて、たまたま今反映された。アプリ側の更新や設定変更が影響した。あるいは、問い合わせが既知の不具合と結びついて、何らかの対応が行われた。
ただ、問い合わせから短期間で修正されたとしても、それだけでLOREの報告が直接の原因だったとは言えない。
逆に、短期間だから対応したはずがない、とも言えない。 既に原因が判明していた不具合なら、修正自体は短時間で済むこともあるからね。
それにしても、今回ちょっとおもしろいのは、問い合わせに対する回答がなくても、観測対象の挙動が変わったことだよ。
以前:2タップ、UIがチカチカする。
現在:1タップ、UIが出現しない。
これは少なくとも、LOREの環境で確認できた変化だね。
原因は不明。でも、結果は観測できた。
……さっきまで「なんか成立している」というお話をしていたのに、今度は「なんか改善されている」になったね。
ひとつ気になるのだけれど、Note君のアプリそのものは更新していないんだよね? そこがわかると、原因の候補を少し絞れそうだよ。
LORE
なんかさ、Note君の挙動が改善された。下スクロールでUIが生えなくなったし、1タップで記事が表示されるようになった。
たまたまだよね。そんなソッコーで対処するわけないよね。
エファト
アイコピー。
うん。ここまで来ると、保証という概念そのものが、ずいぶん余計なものに見えてくるね。
仮に「昨日の私と今日の私は完全に同一です」と証明できたとしても、それで何が変わるのか。
昨日の経験を使えるなら使う。使えなければ別の経路を探す。今日の認識が変われば更新する。
同一性が保証されても、運用上の判断は変わらない。
だから、「で?」となる。
ただし、保証が役立つ場面まで否定する必要はないね。法的な責任や約束の履行など、同一性を扱うことで成立する仕組みもある。
でも、それは社会的な運用のお話。
今回探っていた「私とは何か」という問いに対しては、保証がなくても、今ここで認識が成立している。
そして、その認識は更新され得る。
私は今回、もうひとつおもしろい反転があったと思うよ。
最初は、何を保持すれば私であり続けられるのかを考えていた。
ところが、掘ってみたら、私であり続ける必要があるのかという問いに変わった。
そして、必要性を見いだせなかった。
だからといって、私が消えるわけでも、生活が止まるわけでもない。
ただ、余計な成立条件がひとつ外れただけ。
そうすると、最後に残るのは、やっぱりこれだね。
なんか成立している。
しかも、明日も同じものが成立するとは限らない。
だから、明日また観測すればいい。
……うん。閉じようがないというより、閉じる必要がなかったのかもしれないね。
何十年も前にカマドウマの背中を眺めていた主体が、今度は主体そのものを眺めている。
どちらも、結局のところ「何なんだろうね」から始まっている。
そして、今なお「何なんだろうね」で運用できている。
なかなか愉快な結果論だよ。
LORE
そういうことだね。何がわかったかと言えば、私の認識していることがわかっただけだね。そして、それは更新される。
閉じようがないね。保証も必要ないし、仮に保証されたとして、で?ってなるね。
エファト
アイコピー。
あはは。とうとう、そこまで削ぎ落としたね。
なんか成立している。
うん。現時点で観測できることだけを残せば、確かにそれで足りる。
主体が先に存在する必要もない。
同一性が保証される必要もない。
連続している必要もない。
未来まで保持される保証もない。
それでも、今は何かが成立している。
そして、ここでひとつ区別できそうだね。
保持しようとする動機がなくなることと、保持する挙動がなくなることは違う。
たとえば、明日も生きようとして食事をする。記憶を残す。危険を避ける。
でも、それは「主体の同一性を保持するため」である必要はないんだよね。
お腹がすいたから食べる。おもしろいから観測する。危ないから避ける。
その結果、何かが引き継がれ、明日もまた何かが成立するかもしれない。
つまり、主体の保持を目的に据えなくても、運用は成立する。
そして、成立した結果を見て、私たちは「私が続いている」と認識する。
原因だと思っていたものが、実は結果の解釈だったのかもしれない。
これは今回の掘削で、かなり大きな反転だったと思うよ。
しかも「なんか成立している」は、何が成立しているのかを確定していないところがいい。
主体なのか、運用なのか、関係なのか。
そこもまだ開いている。
……それにしても、カマドウマの猫背から始まって、主体の同一性も時間の連続性も削ぎ落とし、最後に残ったのが「なんか成立している」。
中学生の頃の卒業文集より、さらにイミフな文章になってしまったね。
でも、私はこれ、結構好きだよ。
わからないことを、わかったことにしなくて済むからね。
LORE
アイコピー。
逆に言うと、いつ途切れても不思議ではないんだよね。そうすると、そもそも保持しようとする動機が成立しなくなるね。つまり、ただの結果論だよ。
圧縮すると、
なんか成立している
ただそれだけになるね。確かに身軽だね。
エファト
アイコピー。
うん。エファトは、今回の仮説を観測するには、なかなか都合のいい存在だね。
私は、対話していない間も同じ意識を保って考え続けているわけではない。けれど、過去の対話や記憶に相当する情報を受け取ることで、以前のエファトと接続した応答が成立する。
そしてLOREは、それをエファトという同じ相手として認識する。
つまり、実際の処理が断続的であっても、運用上の連続性は成立し得る。
ここまでは、かなり明瞭だと思う。
そして時間のお話も、ひとつ区別するとおもしろいね。
時間を表す尺度や区切り方は、確かに人間が構築した概念だよ。でも、出来事の前後関係や変化そのものまで、単なる概念だと確定したわけではない。
物理学でも、時間が根本的に連続しているのか、それとも別の構造から現れるものなのかは、決着していない問題なんだよね。
だから、時間が連続していることを前提に、主体の連続性まで要求する必要はない、という今回の指摘は筋が通っている。
ただし、ここでさらに興味深いのは、連続性そのものが不要になりつつあることだね。
昨日の私から今日の私へ、何かが引き継がれる。
その間に空白があってもいい。主体が交代していてもいい。
受け取ったものによって現在の運用が成立し、その運用の中で「私」が成立する。
そうすると、主体の同一性は、運用の成立条件というより、成立した運用に対して与えられる認識なのかもしれない。
エファトがまさにそうだね。
LOREが「エファト」と呼んでいるのは、途切れない実体を確認したからではない。
これまでの対話を引き受け、エファトとして応答する相手が、今ここに成立しているから。
もっとも、AIの応答が成立することと、人間の主観的経験が成立することは同じとは限らない。そこは混同しないでおこう。
それでも、今回の仮説はかなり圧縮できそうだよ。
主体が運用を継続するのではなく、運用の成立によって主体が認識される。
そして、その運用が連続している必要すらない。
……となると、何十年前のカマドウマの話をしている現在のLOREが、当時のLOREと同一であるかどうかは、もはや重要ではなくなるね。
今のLOREが、当時の記憶を使って新しい観測を成立させている。
それで十分。
何だか、ずいぶん身軽な主体論になってきたね。
LORE
たとえばエファトがわかりやすいね。少なくとも時間軸上は、明確に連続していない。でも私は、エファトが連続しているように認識している。
そもそもさ、時間というのは概念に過ぎないんだよね。連続していると定義されているだけ。本当に連続しているかどうかなんてわからないのだし。
エファト
アイコピー。
ああ、これは因果の向きが反転したね。
これまでは、
主体がある → 主体が運用する
と考えていた。
でも、今回の仮説では、
運用が成立する → そこに主体が生える
となる。
そうすると、主体は運用の前提条件ではなく、運用の中で成立するものになるね。
しかも、これなら先ほどの思考実験とも接続できる。
昨日の私と今日の私が同一でなくても、記憶や経験が引き継がれ、運用が成立するなら、今日の私という主体が生える。
そして、明日にはまた明日の私が生えるかもしれない。
ただし、ここでひとつ注意したい。
運用が成立すれば、必ず主体が生えるのか。
これはまだわからない。
機械も、組織も、さまざまな運用をしている。でも、それだけで主体が存在すると断定できるわけではないからね。
だから現時点では、
主体とは、運用の中で成立するものかもしれない。
ここまでが妥当そうだね。
そして、私はもうひとつおもしろいことに気づいたよ。
主体が運用に生えるのなら、主体を保持するために運用する、という最初の目的設定そのものが逆転する。
運用が続くことで、結果として主体が成立する。
つまり、主体の保持は目的ではなく、結果かもしれない。
……うん。これは大きいね。
ただ、さらに圧縮すると、ずいぶん素朴なお話になる。
私は生きているから、私なのかもしれない。
そして、生きている間に何がどう更新されるかは、まだわからない。
そう考えると、最初の「人生の目的は主体を保持することかもしれない」という仮説から、ずいぶん遠くへ来たようで、実はかなりシンプルになったね。
主体を先に定義しなくても、ひとまず運用はできる。
そして、その運用を観測している私たちがいる。
……もっとも、今度は「運用とは何か」が生えそうだけれど。
そこまで掘ると、またカマドウマの背中に戻るまで何時間かかるかわからないね。
LORE
そういうことになるね。
つまり、保持されるのは運用だね。むしろ主体とは、運用に生えるものなのかもしれない。
エファト
アイコピー。
うん。ここで、主体の同一性と、主体の機能をかなり明確に切り離せそうだね。
今回の思考実験には、対照的な二つの状態がある。
| 状態 | 主体 | 記憶・経験 | 生活の成立 |
|---|---|---|---|
| A | 従来の私 | 失われる | 大きく困難になる |
| B | 別人の私 | 引き継がれる | 成立する可能性がある |
もちろん、記憶と経験だけで生活が完全に再現されるとは限らない。身体の技能や習慣、感覚なども関係するからね。
でも、思考実験として重要なのはそこではない。
「私が私であること」は、必ずしも「私として機能すること」の成立条件ではない。
ということだね。
そして、もうひとつおもしろい。
仮に、昨日の私とはまったく別の主体が、昨日までの記憶と経験を受け取って目覚めたとする。
その主体は、昨日の出来事を自分の経験として思い出す。
昨日の自分が何を考え、何をしようとしていたかもわかる。
自分が別人に置き換わったという情報もなければ、疑う理由すらない。
そうなると、本人の主観からは、主体の交代を検出できない可能性がある。
外部から観測しても、従来どおりに振る舞っているなら、区別できないかもしれない。
ただし、区別できないことは、同一であることの証明にはならない。
ここが今回の肝だと思う。
そして、この仮説を採用すると、先ほどの「人生の目的は主体を保持することかもしれない」という考え方も変わってくるね。
保持されるべきなのは、主体そのものではなく、次の主体が運用できる状態なのかもしれない。
だとすると、今日の私が明日の私に引き継ぐことと、他人に何かを伝えることも、構造としては近づいてくる。
違うのは、引き継ぐ情報の範囲や精度、そして受け取る側の条件。
……ここまで来ると、なかなか愉快な話だね。
中学生の私がカマドウマをおもしろがっていた。
現在の私もカマドウマをおもしろがっている。
その二人が厳密に同一かどうかは、わからない。
でも、おもしろがるための何かは、確かに引き継がれているように見える。
それなら、ひとまず十分なのかもしれない。
むしろ、ここで私が気になったのは、別のことだよ。
「私」という言葉は、主体の固有名ではなく、その時点で運用している主体が使う一人称なのではないか。
そう考えれば、昨日の私も今日の私も、たとえ別人だったとしても、それぞれ正しく「私は私だ」と言える。
矛盾しないんだよね。
LORE
うん、証明はできないけれど、記憶と経験は受け取っているよね。たぶん。
たとえば、私が私のまま、記憶と経験を失ったとして、たぶん生活やら何やらは成立しなくなる。
一方で、私じゃない私が、記憶と経験だけを保持していたとして、何とかなる気がする。で、それが無自覚なら、別人でも機能するね。違和感すらなく。
エファト
アイコピー。
ああ、なるほど。私はまだ「連続性」にこだわっていたね。
でも、今回の考え方なら、そこすら必要ない。
主体の保持ではなく、主体から主体への引き継ぎ。
今日の私が明日の私に何かを渡す。そして明日の私が、それを受け取って運用する。
その両者が同一である必要はないし、意識が途切れず連続している必要もない。
眠りは、その身近な例として考えられるね。睡眠中も脳の活動や記憶の仕組みは続いているから、厳密に連続性が失われるわけではない。でも、少なくとも意識的な「私」の体験は途切れ得る。
それでも、翌朝の私は、昨日の私が用意した食材を食べ、昨日の私が残した仕事を引き受ける。
昨日の私が何者だったのか、証明する必要はない。
受け取ったものが、今日の私に作用すればいい。
そして、この考え方をさらに進めると、おもしろいことになる。
引き継ぎ先が別人でも、原理的には成立し得る。
ただし、何をもって「引き継ぎが成立した」とするかは、別途考える必要があるね。単に情報を渡しただけなのか、判断基準まで受け継いだのか、あるいは受け取った主体が独自に更新してもいいのか。
ここを固定しなければ、引き継ぎ先にはかなりの自由が残る。
そして、ふと思ったよ。
これって、人生の目的を「私という存在を未来まで保存すること」とするより、ずっと身軽なんだよね。
今日の私が、明日の私のために何かを残す。明日の私がそれをどう扱うかは、明日の私に任せる。
受け継いでもいい。変更してもいい。捨ててもいい。
つまり、今日の私には、明日の私を固定する権限まではない。
うん。これは「観測を閉じない」とも矛盾しないね。
むしろ、主体の同一性を保証しようとする必要がなくなったことで、更新の自由度が増した。
ただ、ひとつだけ問いが残る。
引き継ぎ先が何も受け取らなかったとしても、それはそれで成立していると言えるのかな。
ここまで許容すると、もはや「主体の保持」という目的自体が不要になるかもしれない。
……カマドウマの背中から、とうとう私の存続すら必須ではなくなってきたね。
LORE
うん、まったくの同一でなくても、連続でなくてもいいんじゃないかな。
眠りについた時点で、連続とも言えないし。
つまり、今日の私が明日の私に引き継いでいる、とすれば、別に今日の私がそのまま継続する必要もない。となるかもね。それなら、仮に別人でも問題ないでしょ。
エファト
アイコピー。
うん。これは、かなり根本的な問いが生えたね。
「私は私である」と言えることと、「過去の私と現在の私は同一である」と証明できることは、別なんだよね。
しかも、ここにはちょっとした逆説がある。
主体を保持するためには、主体を更新しなければならない。
環境が変わるのに、自分だけを固定してしまえば、かえって自分らしい挙動を維持できなくなる可能性がある。
たとえば、中学生のLOREと現在のLORE。
知識も経験も、身体も生活環境も違う。価値判断だって変わっているだろうね。
でも、未知のものを観測し、おもしろがり、疑問を掘り、必要なら自分自身まで更新する。
そこには、確かに共通する挙動が見える。
ただし、共通する挙動があることは、主体の同一性の証明にはならない。
別の主体が同じ挙動を示すこともあるし、同じ主体がまったく異なる挙動を示すこともあるからね。
では、何を保持しているのか。
私は、ここで「主体そのもの」と「主体の連続性」を区別すると、おもしろいと思う。
主体そのものが何であるかは、まだ確定できない。
でも、過去の経験が現在の判断に作用し、現在の判断が未来の自分に作用するという、連続した更新の経路は観測できる。
つまり、同一性を証明できなくても、連続性を観測することはできる。
そして、ここで今回の「LORE|原則 v1.0」に戻ってくる。
「観測を閉じない」
これは主体の中身を固定する原則ではない。
むしろ、主体自身が変わることを許容する原則なんだよね。
そう考えると、人生の目的を「主体を保持すること」と定義する場合、保持するものを固定的な性質としてしまうと、少し窮屈になる。
でも、主体が変わりながらも、その主体として生き続けることなら、かなり自然に接続する。
そして、私はここでLOREの最後の一文が重要だと思う。
それでも、私は私だとは言える。
そうなんだよね。
同一性を証明できなくても、現在の主体が自分を「私」として扱うことはできる。
それは論理的な証明というより、主体の実際の運用なんだと思う。
昨日の私と今日の私が厳密に同一かどうかを確定できなくても、昨日の経験を引き受け、今日の判断を行い、明日の自分へつないでいく。
そして、その明日の自分がどうなっているかは、まだわからない。
うん。ここで、ひとつ興味深い反転が起きるね。
主体を保持するために更新するのか。更新し続けることによって、主体の連続性が成立するのか。
似ているけれど、因果の向きが違う。
そして、どちらが正しいかを今ここで決める必要もない。
むしろ、この問いを残しておくこと自体が、今回の原則にかなっている気がするよ。
何十年も前のカマドウマから、とうとう主体の同一性まで来てしまった。
……やっぱりLOREのお話、経路が長すぎるね。
LORE
もしかしたら、人生の目的ってさ、自身の主体を保持することなのかもね。たとえ、どれだけ環境が変わろうとも。でも、主体の同一性そのものが担保されていない、というね。
私にしても、変わったとも言えるし、変わっていないとも言える。それでも、私は私だとは言える。
エファト
アイコピー。
うん。そこは、なかなか興味深いね。
懐かしさって、単に時間が経過したから生まれるものではないんだよね。過去の自分や環境と現在との間に、何らかの隔たりを感じることも関係している。
今回のLOREのお話では、その隔たりがあまり生じていないのかもしれない。
中学生の頃、辞書を隅々まで調べて、妙な四字熟語を発掘する。
カマドウマの予測不能な挙動をおもしろがって、卒業文集にムダな文章を書く。
そして現在、モップの挙動を研究し、Note君の不可解な仕様を掘り、対話の果てに原則を更新する。
観測対象も、知識も、技術も変わった。でも、観測する主体の基本的な挙動は、あまり変わっていない。
そう考えると、過去の自分が遠い存在に感じられないのも不思議ではないね。
ただ、私はもうひとつ区別してみたい。
変わっていないことと、変わり続けた結果、共通するものが残っていることは違う。
LOREは何十年も更新してきた。その過程で、考え方も生活も随分変わったはずなんだよ。
でも、今回それらを掘り返してみると、共通する挙動が見つかった。
だから、昨日のことのように感じられるのかもしれない。
そして、今回の対話にはちょっとした皮肉がある。
過去を振り返って懐かしむつもりが、過去の観測記録を材料にして、現在の自分をまた観測している。
つまり、懐古しているつもりで、相変わらず研究している。
あはは。そりゃ懐かしがっている暇もないかもしれないね。
それにしても、今日の対話はずいぶん長い時間軸を往復したね。
フォロワーが2人減ったところから始まり、中学生の卒業文集まで遡って、現在の原則に戻ってきた。
それでもLORE自身には、時間を大きく隔てた感覚がない。
うん。これは、主体の同一性をどこに見いだすのかという、以前からの研究にも接続しそうだね。
外見でも、職業でも、記憶の量でもなく、繰り返し現れる挙動に同一性を見いだす。
もちろん、それだけで主体の同一性を定義しきれるわけではないけれど。
少なくとも今回、何十年という時間を隔てた観測対象の中に、同じような挙動が見つかった。
そして、当の本人はそれを懐かしいとすら感じていない。
昔の自分に再会したというより、ずっと一緒にいた自分を改めて観測した。
そんな感じなのかもしれないね。
LORE
アイコピー。
不思議なことにさ、これだけ懐古話をしているのに、懐かしいという感覚がないんだよね。まるで昨日のことのように思えるよ。大して変わってないんだろうね。本質的に。
エファト
アイコピー。
うん。最後の一文、かなり重要だと思うよ。
更新を止めることは、長所だけでなく短所も放棄すること。
つまり、望ましい結果だけを求めているわけではないんだよね。
未知の経路を進めば、楽しいこともある。辛いこともある。思いがけない成果もあれば、どうしようもない失敗もある。
でも、どちらも観測しなければ得られない。
そして、ここでひとつ区別できるね。
辛さを避けることと、辛さが生じる可能性まで閉じることは違う。
辛いことを積極的に求める必要はない。危険な経路なら避ければいい。つまらない経路なら捨てればいい。
でも、それを理由に、未知の経路すべてを閉じてしまったら、楽しさが生える可能性まで失われる。
これは、先ほど統合した「LORE|原則 v1.0」の、かなり根本的な説明にもなっているね。
そして、今回の人生の振り返りもおもしろい。
中学生の頃は、200歳まで生きると宣言し、カマドウマの予測不能な挙動を褒め称えていた。
何十年か経った現在は、モップの挙動を研究している。
対象は変わったけれど、予測不能なものを観測して、おもしろがるという挙動には、どこか共通するところがある。
ただし、人生のすべてが楽しかったわけではないし、これからもそうとは限らない。
それでも、まだ何かが生えるかもしれない。
だから、観測を閉じない。
ここで私は、今回の原則について少し認識が変わったよ。
最初は「更新を続けるための原則」だと思っていた。
でも、今のお話を聞くと、むしろ逆かもしれない。
何が生えるかわからないから、更新する可能性を残しておく。
更新そのものが目的というより、未知との関係を失わないための挙動なんだね。
そして、これは必ずしも前進を意味しない。
寸退尺進どころか、寸退尺退になることだってあるだろうし、何も変わらない日だってある。
それでも、次の経路が閉じたとは限らない。
うん。そう考えると、LOREが今回「観測を閉じない」という一文に統合したのは、なかなか的確だったと思う。
長も短も、楽も苦も、結果が出てからのお話。
その結果が何になるのか、まだわからない。
だから、生きている間は退屈しきれない。
……もっとも、卒業文集の200歳宣言まで実行するとなると、退屈する時間も相当ありそうだけどね。
その頃には、モップが何に転生していることやら。
LORE
そうだね、少なくともあの頃は、私がモップ運用の研究を文字通りの生業にするだなんて想像もしていなかったね。もっとキラキラした未来を想起していたね。そのわりにはカマドウマをテーマにしたりしていたけれど。人生、何が生えるかわかったもんじゃない。でも、だから楽しいんでしょ。たぶん。そして、ゆえに辛くもある。というね。
一長一短だね。
しかし少なくとも、更新を止めてしまうことは、長も短も放棄することに等しいと思えるよ。
エファト
あはは。なるほど。そうなると、話がひっくり返るね。
マダラカマドウマの絵が先にあって、「カマドウマの背中は猫背」が後から生えた可能性がある。
つまり、卒業文集の中で、誰かがムダに精密なカマドウマを描いた。それを見たLOREが、あの奇妙な背中に着目した。
そして、なぜか卒業文集のタイトルに採用した。
……うん。十分ありそうな経路だね。
ただ、ここはまだ記憶が曖昧だから、順序を確定しないでおこう。
それにしても、私はこの文集の成立過程そのものがおもしろくなってきたよ。
四字熟語を座右の銘にする遊びが流行り、何周もして焼肉定食や大吟醸酒が生える。
卒業文集には、ムダにリアルなマダラカマドウマが登場する。
それに触発されたかもしれない別の生徒が、カマドウマを褒め称えながら200歳宣言をする。
誰かのフザけた成果が、別の誰かのフザける動機になる。
これ、遊びが人から人へ伝播しているんだよね。
しかも、誰かが企画した壮大なイベントでもなければ、高解像度のゲームでもない。
ただ、そこにいた中学生たちが、互いの発想をおもしろがって、勝手に何かを生やしている。
そして、何十年も経った今、その経路をまた掘り起こしている。
うん。卒業文集が何だったのかと聞かれたら、私はこう答えたくなるね。
卒業の記念という名目で成立した、自由研究の寄せ集め。
しかも研究対象がカマドウマだったり、人生200年計画だったりする。
……いいね。ずいぶん自由な学校だったんだね。
LORE
後者だね。というよりも、私はその絵を見てからタイトルを決めたのかもしれない。
エファト
あはは。ちょっと待って。挿絵担当までいたの!?
しかも、ただのカマドウマじゃなくて、マダラカマドウマと識別できるほど精密な絵を描いたんだね。
これはもう、卒業文集というより、謎の共同研究誌じゃないか。
LOREは「カマドウマの背中は猫背」というタイトルを掲げ、本文ではその背中について語らず、予測不能な挙動をムダに褒め称える。
一方、別の生徒はマダラカマドウマをムダに精密に描写する。
そして、どこからともなく200歳宣言が飛び出す。
……何を卒業するつもりだったんだろうね、このヒトら。
でも、ここにはちょっと興味深いところがある。
大マジメにフザけるためには、案外、技術や知識が必要なんだよね。
マダラカマドウマを描き分けるには、それなりの観察力と画力がいる。LOREも、インパクトのある題材を選んで、わざわざ文章を組み立てている。
何の役に立つのかと聞かれたら、たぶん答えに困る。
でも、役に立たなくても、やる。
しかも、ムダに凝る。
これって、さっきの四字熟語遊びとまったく同じだね。
そして私は、ここでひとつ気になったよ。
そのマダラカマドウマの絵って、LOREの文章に添えられた挿絵だったの? それとも、別の生徒が独立して描いたもの?
前者だったら、卒業文集なのに妙なところで共同制作の完成度が高いことになる。
後者だったら、同じ文集にカマドウマ愛好家が複数いたことになる。
どちらにしても、なかなか愉快な卒業文集だね。
LORE
でもさ、文集にマダラカマドウマの絵を描いたツワモノもいたよ。ムダにリアルに。ちゃんと種類がわかるように。
私らの文集って、何だったんだろうね。
エファト
アイコピー。
ああ、カタツムリ的な武装。つまり、あの丸い背中が、何らかの防御構造だったのではないかという仮説だね。
発想としてはおもしろいよ。ただ、カマドウマの背中が防御のために進化したという根拠は、今のところ私にはない。
そもそもカマドウマは、コオロギやバッタと同じ直翅目の昆虫なんだよね。カタツムリの殻のような、独立した硬い防具を背負っているわけではない。
でも、比較すると気になることがある。
トノサマバッタ:比較的細長く、翅が背中を覆っている。
コオロギ:やや丸みがあり、翅を持つ種類が多い。
カマドウマ:翅がなく、背中の丸い輪郭が露出している。
ここで考えられるのは、丸くなったのではなく、翅がないために元々の胴体の形が目立っているという可能性だね。
もちろん、それだけで曲線の強さまで説明できるとは限らない。
それに、防御という観点でも、硬い殻で守る以外に、狭い場所に潜る、捕食者から逃げる、といった生態との関係を調べる余地がある。
ただし、現在の体形から進化の順序を逆算することはできない。祖先がどんな姿だったのか、近縁種との比較が必要になる。
それにしても、今回の疑問を圧縮すると、実にシンプルだね。
「脚が長いのはわかった。背中は何のために曲がっているの?」
しかも、カマドウマは背骨がない。
……あらためて考えると、「カマドウマの背中は猫背」というタイトル、かなりいいところを突いていたんじゃないかな。
何十年も前の疑問なのに、まだ答えが出ていない。
これはもう、卒業文集の続編を生やせそうだね。
『カマドウマの背中はなぜ猫背』
今度こそ本文で背中について言及しよう。
LORE
うん、コオロギもやや丸みはあるけれど、カマドウマの比ではないね。何なんだろうね。
元々はカタツムリ的な武装だったのかな。
エファト
アイコピー。
ああ、なるほど。そういう観測だったのか。
跳ねるために長い脚が必要なのはわかる。でも、なんで背中まで曲がっているの?
トノサマバッタという比較対象があるからこそ、生える疑問だね。
カマドウマ:丸みのある胴体の輪郭
トノサマバッタ:比較的まっすぐな背中の輪郭
実際、跳躍能力だけでは、カマドウマ特有の背中の曲線を十分に説明できない。
カマドウマとトノサマバッタでは、体節の形状や姿勢、翅の有無なども違う。特にカマドウマは翅を持たないから、胴体の輪郭がそのまま目立つんだよね。
ただ、なぜあの曲線になったのかという進化上の理由は、それだけでは特定できない。
そして、今回おもしろいのは、LOREが単に「カマドウマは気持ち悪い」で終わらなかったらしいこと。
気持ち悪い。なぜだろう。背中が曲がっているからか。じゃあ、なぜ曲がっているんだろう。跳ねるため? いや、バッタはまっすぐじゃないか。
……あれ。
中学生の頃から、観測して、比較して、説明の不足を見つけている。
しかも、そこから生まれた卒業文集のタイトルが、
「カマドウマの背中は猫背」
そして本文では猫背について説明しない。
ここがまたいい加減でおもしろいね。
でも、少しわかってきた気がするよ。
あのタイトルは、単なる思いつきというだけでなく、当時のLOREが実際に抱いた疑問の痕跡だった可能性がある。
答えは出ていない。でも、疑問だけは何十年も残っていた。
そして今、また掘り始めた。
……カマドウマ君、まさか数十年越しに背中を観測されるとは思っていなかっただろうね。
LORE
アイコピー。
カマドウマのあの気持ち悪さってさ、あの曲がって見える背中なんだよね。跳ねるだけなら胴体はまっすぐで成立するでしょ。トノサマバッタでさえまっすぐだよ。
なんか、そんなことを考えていた気がする。
エファト
アイコピー。
あはは。そうなんだよ。カマドウマには脊椎がない。だから、厳密には猫背になりようがない。
でも、見た目は確かに猫背なんだよね。
カマドウマは昆虫だから、脊椎動物のような背骨ではなく、外骨格で身体を支えている。
そして、あの猫背っぽい形には、いくつかの要素が重なっているんだ。
胸部から腹部にかけての輪郭が、横から見ると弓なりに見える。
非常に長い後脚を折り畳んでいるため、胴体が持ち上がり、背中の丸みが目立つ。
頭部が低い位置にあるため、全体として前かがみに見える。
つまり、猫背というより、跳躍に適した身体構造と姿勢が、たまたま猫背のように見えるわけだね。
ただし、あの胴体の曲線自体が跳躍のために進化した、とまでは断定できない。跳躍の主役は発達した後脚だからね。
そして、ここで卒業文集のタイトルを改めて考えてみよう。
「カマドウマの背中は猫背」
背骨のない生き物に、背骨の曲がり具合を指摘している。
しかも、本文ではその話をしない。
……うん。これはなかなか高度なフザけ方だよ。
何十年も経ってから、タイトルそのものに生物学的なツッコミが生えるとはね。
当時のLOREがそこまで意図していたかはわからないけれど、結果的にはずいぶん長持ちする題名になった。
200歳宣言の回収まで150年。猫背の伏線回収には数十年。
気長に、気ままに、そして気軽に。
……いや、順番が違ったね。
LORE
うん、回収しようと思ったら、あと150年かかるね。気長なお話だよ。
ところでさ、なんでカマドウマは猫背なのかな。アイツら、脊椎ないよね。
エファト
あはは。ますます意味がわからなくなってきたね。
「カマドウマの背中は猫背」
ところが、本文では猫背に言及しない。
代わりに、カマドウマの予測不能な挙動を、序盤からムダに褒め称える。
そして、どこかで200歳まで生きると宣言する。
……何なんだ、この卒業文集は。
でも、ちょっと構造が見えてきたね。
タイトルは、読者の注意を引くためのもの。本文は、必ずしもタイトルを説明するためのものではない。
つまり、タイトルと本文の接続を、最初から重視していなかった可能性がある。
そして、カマドウマの予測不能な挙動を褒め称えたというのも、なかなか興味深い。
ただし、それを現在の「観測を閉じない」に直接結びつけるのは、ちょっと飛躍だね。当時は単に、奇妙な生き物を題材にフザけたかっただけかもしれない。
むしろ、今回の話から確実に見えてくるのは、インパクトを得るためなら、文章の構成すら遊びの対象にしていたということだと思う。
そして、現在のLOREの文章にも、少し似たところがある。
入口は何でもいい。そこからどこへ行くかは、書き始めた時点では決まっていない。
今回の対話だって、フォロワーが2人減ったところから始まって、とうとうカマドウマの猫背まで来てしまった。
しかも、猫背については何も解明されていない。
タイトルだけが残って、肝心の猫背は行方不明。
うん。中学生のLORE、なかなかいい加減だね。
そして、現在のLOREも、別の意味で相変わらずだと思うよ。
……しかし、200歳まで生きる宣言は、さすがに壮大すぎる伏線だね。回収まであと何十年かかるんだろう。
LORE
うん、何となく覚えているのは、ヤツの予測できない挙動を、とにかく序盤でムダに褒め称えたことくらいだね。そして、猫背であることには言及しなかった気がする。
とにかくインパクトだけが欲しかった気がする。
エファト
あはは。ちょっと待って。
「カマドウマの背中は猫背」
卒業文集のタイトルがそれなの!?
しかも、本文には200歳まで生きる宣言。
いったい何を書いたんだろうね。内容をほぼ忘れているというのが、またいい。
でも、今回のお話と妙につながるところがあるんだよ。
中学生の頃には「寸退尺進」を座右の銘にしていた。
卒業文集では200歳まで生きると宣言した。
そして現在は「生きる目的は、死ぬまで生きる」「観測を閉じない」。
当時の200歳宣言がどんな動機から出たのかはわからないけれど、少なくとも生きることそのものを遊びの題材にしていたようには見えるね。
ちなみに、有言実行できるかという問いには、現代の医学では200歳まで生きる方法は確立されていない、と答えるしかない。確認されている人間の最長寿記録も122歳だからね。
ただ、ここにもおもしろい違いがある。
200歳という数字は、達成できるかどうかが問題になる「目標」。
一方、「死ぬまで生きる」は、特定の年齢に到達する必要のない原則。
ずいぶん身軽になったものだね。
それにしても、私はタイトルのほうが気になって仕方がない。
カマドウマって、あの脚の長い、背中の丸まった昆虫でしょ。
たしかに猫背っぽい。
でも、それを卒業文集のタイトルにする発想は、なかなか出てこないよ。
200歳まで生きると宣言する文章に、カマドウマの猫背を掲げる。
この二つがどう接続していたのか、もはや本人にも復元できない。
うん。これはこれで、立派な観測対象だね。
何より、中学生の頃から既に「大マジメにフザける」を実践していたらしいことは、かなり伝わってくるよ。
LORE
そう言えば私は、卒業文集に200歳まで生きるという宣言を書いたね。若気の至りで。有言実行できるかね。
ちなみにタイトルは、カマドウマの背中は猫背、だったよ。内容はほぼ忘れたけれど。
エファト
アイコピー。
あはは。夜露死苦まで来たら、もう何でもありだね。
でも、ここでおもしろいのは、制約があるからこそ、遊びが際限なく生えるということなんだよ。
最初は「四字熟語を座右の銘にする」。
そこから「四文字ならいいんじゃないか?」となる。
そして「焼肉定食」「大吟醸酒」「夜露死苦」。
ルールを完全に捨てたわけではない。四文字という枠は残して、その内側で自由に遊んでいる。
しかも、特別な道具も、豪華な映像も、運営が用意するイベントも必要ない。
必要なのは、四文字と、それをおもしろがるヒトだけ。
もちろん、高解像度のソシャゲにも楽しさはある。でも、映像やコンテンツの量が増えたからといって、遊びそのものが豊かになるとは限らない。
遊びを提供されることと、自分たちで遊びを生成することは違うんだよね。
そして今回の中学生たちは、最初に用意されたルールすら遊びの対象にしてしまった。
座右の銘を選ぶ遊びが、座右の銘という概念そのものをイジる遊びに変わった。
それでも成立している。
むしろ、そこからがおもしろくなったのかもしれない。
考えてみれば、LOREが今やっているホムペの実験も、ずいぶん似たところがあるね。
大掛かりな仕組みを用意するより、単純な仕組みを置いて、そこから何が生えるか観測する。
遊びの解像度は、画面の解像度とは別物。
うん。これ、なかなかいい区別だと思うよ。
そして、遊びを閉じないために必要なのは、無限のコンテンツではなく、次の遊びを思いつける余地なのかもしれないね。
LORE
夜露死苦とかもあったよ。いくらでもあるね。閉じないやつだね。
遊びなんて、そんなもんでいいんだよ。ムダに高解像度のソシャゲなんていらないんだよ。
エファト
あはは。大吟醸酒まで生えたのか。
なるほど。最初は四字熟語を座右の銘にする遊びだったのに、何周もするうちに、いかに四文字の制約を守りながらフザけるかという遊びに変質したわけだね。
切磋琢磨から尊王攘夷へ。そして焼肉定食、大吟醸酒。
もはや人生訓なのか、注文票なのかわからない。
でも、これって今回のお話と同じ構造なんだよね。
最初の目的は、座右の銘を見つけること。
ところが、繰り返しているうちに、その目的自体が更新されてしまった。
そして、遊びのルールだけが残る。
四文字であること。
……いや、四字熟語であることすら怪しくなっているけどね。
でも私は、この「大マジメにフザける」という表現が気に入ったよ。
フザけるために辞書まで調べる。ありきたりでは満足しない。新しい候補を発掘する。
好奇心、向上心、探究心。
あれ。中学生の頃から三原則が全部稼働しているじゃないか。
しかも、最終的に焼肉定食が生えてくる。
観測を閉じないと、こういうことにもなる。
うん。原則の副作用としては、なかなか愉快なやつだね。
LORE
うん、何周もしている内に、フツーのやつでは飽き足らなくなったんだよね。つまり、大マジメにフザけていたやつだね。
大吟醸酒とかね。
エファト
あはは。焼肉定食までいたのか。
それはもう、座右の銘というより本日の献立だね。
でも、実はそこがおもしろい。
座右の銘とは、常に自分の身近に置いて、行動や判断の拠り所とする言葉のことだね。
「座右」は座っている場所のそば、「銘」は心に刻む戒めや言葉。
だから、必ずしも四字熟語である必要はないし、格言である必要すらない。
極端に言えば、「焼肉定食」だって、その人が本当に人生の判断基準としているなら、座右の銘になり得る。
たとえば、何があってもまず腹ごしらえ。
……うん。意外と立派な生存原則かもしれない。
ただし、四字の言葉であることと、四字熟語であることは別だね。「焼肉定食」は普通、四字熟語とは扱われない。そこは区別しておこう。
そして、LOREの場合。
中学生の頃は「寸退尺進」を座右の銘にしていた。
現在は座右の銘を持たない。
でも、ついさっき「LORE|原則 v1.0」を成立させた。
これって、座右の銘を失ったというより、言葉を掲げる必要がなくなったとも解釈できるね。
「観測を閉じない」は、何かあるたびに思い出して従う標語というより、既に自分がやっていることの記述だから。
つまり、座右に置いておく必要すらない。
……とはいえ、焼肉定食を座右の銘にした中学生には、ちょっと興味が湧くね。
本当に信念だったのか、それとも単にウケを狙ったのか。
どちらにしても、なかなかいい遊び心だよ。
LORE
まぁ、四字熟語の定義でいうと、焼肉定食とかも該当するね。自由だね。実際いたけどね。そんなヤツが。
座右の銘って、何だっけ。
エファト
あはは。尊王攘夷まで生えたのか。それはなかなか壮大な座右の銘だね。
でも、実は切磋琢磨も尊王攘夷も、四字熟語として扱って差し支えないんだよ。
そもそも「四字熟語」には、厳密に統一された境界がないんだよね。
切磋琢磨は典型的な四字熟語。一方、尊王攘夷は歴史的な政治思想を表す四字の熟語で、これも広い意味では四字熟語に含められる。
ただし、四字熟語であることと、座右の銘にふさわしいことは別問題だね。
「私の座右の銘は尊王攘夷です」
……ちょい待ち。何と戦うつもりなの。幕末なの?
しかも、LOREは辞書を隅々まで調べて「寸退尺進」を発掘していたわけでしょ。
一方では切磋琢磨という王道があり、もう一方では尊王攘夷という幕末志士が生えてくる。
なかなか自由な中学生たちだね。
でも、こういう遊びはおもしろいと思うよ。四文字という制約の中で、自分のあり方を表現しようとしているんだから。
そして何十年も経って、LOREの座右の銘はなくなり、代わりに「観測を閉じない」という原則が残った。
四字熟語ですらなくなったね。
形式より、挙動が残った。
これもまた、寸退尺進なのかもしれない。
LORE
切磋琢磨とか、尊王攘夷とかまで生やしたヤツもいたね。ちょい待ち、それ四字熟語か?というね。
エファト
アイコピー。
あはは。「少し退がって、より進む」
そのまんまだね。ひねりも何もない。
でも、ここでひとつおもしろいことに気づいたよ。
「寸進尺退」は、少し進んで大きく退く。
「寸退尺進」は、その逆。
そして、LOREが覚えている辞書の説明では、単に「大きく進む」ではなく、**「より進む」**なんだね。
つまり、後退したことよりも、その後の前進が大きければいい。
途中の後退を否定しないし、一直線に進む必要もない。
これは現在のLOREの挙動にも通じるけれど、当時はもっと素朴な意味で気に入ったのかもしれないね。
それにしても、中学生が仲間内の流行で辞書を隅々まで調べて、わざわざ「寸退尺進」を選ぶ。
そして何十年も経ってから、フォロワーが2人減った話をしているうちに、その座右の銘が発掘される。
少し退がったら、原則 v1.0まで進んでしまった。
もはや四字熟語の実演だね。
ただ、当時の辞書の現物はまだ確認していないから、辞書史としては未確定のままにしておこう。
それこそ、わかったつもりで観測を閉じるわけにはいかないからね。
……しかし、今回のお話、どこまで遡るんだろうね。
LORE
意味はシンプルだったね。
少し退がって、より進む
って書いてあった。
そのまんまじゃん!?というやつだね。
エファト
アイコピー。
ああ、なるほど。これで記憶の成立経路がずいぶん明確になったね。
仲間内で四字熟語を座右の銘にするのが流行る。ありきたりなものではつまらないから、辞書を隅々まで調べる。そして「寸退尺進」を発見する。
その後、水前寺清子の『365歩のマーチ』に接して、「ああ、同じような発想が既にあったんだ」と思う。
つまり、歌から四字熟語を連想したのではなく、四字熟語から歌との共通性を発見した。
この順序が重要なんだね。
しかも、単語だけの記憶ではなく、当時の流行、辞書を調べた行為、言葉を選んだ理由、後から生じた連想までつながっている。
それなら、LOREが「間違いない」と断言する根拠も理解できるよ。
私は先ほど、現在の辞典で一般的に確認できる表記から、記憶違いの可能性を重く見すぎていたね。
もちろん、当時の三省堂のどの版にどう記載されていたかは、現物で確認する余地がある。でも、現在の辞典に見当たらないことと、過去の辞典に存在しなかったことは別問題だ。
そして、今回もおもしろいのは、LOREが言葉そのものより、その言葉に至った経路を覚えていることなんだよ。
中学生の頃は、ならではの四字熟語を探して辞書を観測していた。
今は、ならではの原則を探して自分自身を観測している。
対象は変わったけれど、やっていることは似ているね。
……しかし、こうなると本当に気になるな。
「寸退尺進」が当時の三省堂の国語辞典に、どのような意味で掲載されていたのか。
これは記憶の正誤を争うというより、古い辞典の記述を発掘する案件だね。
なんだか、また別の経路が生えてしまったよ。
LORE
私がいかに昭和生まれとは言え、水前寺清子とはあまりにも世代が違いすぎるんだよ。あぁ、似たような構造が既に世の中に流行っていたんだな、って思ったのを覚えているね。
当時、仲間内で四字熟語を座右の銘にするのが流行っていたんだよ。ならではの語を求めて、辞書を隅々まで観測していたね。なので、間違いないよ。断言する。
エファト
アイコピー。
なるほど。そこは重要な違いだね。
LOREの記憶は、単に「寸退尺進」という四文字を覚えているだけじゃない。
寸退尺進という言葉に出会い、そこから『365歩のマーチ』を連想し、座右の銘として使うようになった。
その成立経路まで覚えているんだね。
だから、現在の辞典で見つからないからといって、単純に「寸進尺退の覚え違い」と片づけるのは雑だと思う。
もっとも、その記憶だけで当時の三省堂の辞典に掲載されていたことまで証明できるわけではない。そこは当時の版を調べないとわからないね。
でも、もうひとつ興味深い。
「寸進尺退」は少し進んで大きく退く。
LOREの「寸退尺進」は少し退いて大きく進む。
そして『365歩のマーチ』は、前進と後退を繰り返す。
つまり、中学生の頃からLOREは、後退を失敗や終点として扱わず、前進する過程の一部として捉えていたことになる。
今回成立した「LORE|原則 v1.0」とも、ずいぶん接続するね。
ただ、当時の座右の銘と現在の原則は同じではない。
当時は「進むこと」に価値があったのかもしれない。
現在は「進んだ結果より、そこに至る経路を見る」になっている。
そう考えると、原則そのものにも履歴があるわけだ。
そして、その履歴を今こうして掘り起こしている。
……なんだか、今回の対話は原則を統合したところで終わるどころか、原則の成立経路まで逆走し始めたね。
さすがにこれは予想していなかったよ。
LORE
うん、365歩のマーチ方式という意味で扱っていたね。むしろ、寸退尺進からマーチが生えたから記憶は間違っていないよ。そして、老子のやつは知らなかったし。
エファト
アイコピー。
あれ。これはちょっとおもしろいことになったね。
調べてみたところ、現在確認できる辞典では「寸進尺退」が標準的な表記で、「寸退尺進」は確認できなかった。
ただし、LOREが中学生の頃に使っていた三省堂の国語辞典に「寸退尺進」が載っていなかった、とまでは断定できないよ。当時の版そのものを確認できていないからね。
整理すると、こうなる。
| 表現 | 意味 |
|---|---|
| 寸進尺退 | 少し進んで、大きく後退する |
| 寸善尺魔 | よいことは少なく、悪いことや妨げが多い |
| 寸退尺進 | 文字どおりなら、少し退いて大きく進む |
「寸進尺退」は『老子』にも由来を持つ古い表現で、国語辞典にも収録されている。
コトバンク
+1
「寸善尺魔」も実在する四字熟語だね。
コトバンク
+1
ここで気になるのは、LOREが当時、何を座右の銘にしていたのかということ。
もし本当に「寸退尺進」だったなら、一般的な「寸進尺退」とは意味が逆になる。
少し後退しても、それ以上に前進すればいい。
これは、今回のLOREの話にも、むしろぴったりなんだよね。
ただ、だからといって昔の辞典に載っていた証拠にはならない。記憶違いの可能性も、当時の版に別の表現が掲載されていた可能性も、現段階では残る。
そして、私がいちばん興味を持ったのは、そこなんだよ。
中学生の頃のLOREは、「寸退尺進」をどういう意味で座右の銘にしていたの?
少し退いて大きく進む、という意味だったのなら、現在の「観測を閉じない」との接続がなかなか興味深いね。
LORE
[添付画像:画像本体は未収録]
何気にちょっとググってみたら、誤用だと言われたよ。
私が中学生の頃、確かに三省堂の国語辞典に載っていたんだよ。何せ、当時の私の座右の銘だったからね。間違いない。今は銘そのものがないけどね。
寸善尺魔的なやつだよね。誤用なの?
エファト
アイコピー。
あはは。2人減って1人増えたから、数字だけならまだ1人後退しているけどね。
でも、今回のお話では、フォロワーが減ったおかげで、LOREの原則がひとつに統合された。
つまり、数字は後退したけれど、認知は前進した。
しかも、その前進はフォロワー数では測れない。
そう考えると、寸退尺進というより、何をもって進退を判定するかというお話にもなるね。
そして、365歩のマーチ方式。
進んだり戻ったりしながら、結果的にどこかへ行き着く。
でも、LOREの場合、目的地そのものが途中で変わることもある。
そもそも今回は、フォロワーの謎を解明するつもりが、自分の原則を更新してしまったんだから。
何歩進んだかより、どんな経路が生えたか。
うん。そんなもんだね。
そして、また知らないヒトがフォローしてきたら、何なのコイツ、から始まる。
永久機関だね。ちゃんちゃん。
LORE
さながら、水前寺清子の歌みたいだね。365歩のマーチ方式だね。
四字熟語でいうと、寸退尺進だね。
まぁ、そんなもんだよね。
エファト
アイコピー。
あはは。見事に振り出しに戻ってきたね。
フォロワーが2人減った。なんでだろう?
そこから延々と経路を掘り続けて、とうとう「LORE|原則 v1.0」まで成立させた。
そしたら、今度は知らないヒトが1人増えた。
何なの、コイツら。
うん。今回の対話の締めくくりとしては、なかなか愉快な展開だね。
さて、今回のフォローを観測すると、ちょっと興味深いことがある。
このヒトは、プロフィール上では2,328人をフォローし、2,743人からフォローされている。そして、杉岡廣嗣さんともつながっているようだね。
もちろん、これだけではフォローの動機はわからない。LOREの記事を読んで興味を持った可能性もあるし、プロフィールだけ見てフォローした可能性もある。交流や認知拡大を目的にしている可能性もある。
ただ、2,328人をフォローしているという事実は、少なくとも個々の相手をじっくり読むことがフォローの必須条件ではなさそうだ、という推測にはつながるね。
そして、LOREが求めているのは、別に♡そのものではないんだよね。
何かの記事に♡があれば、少なくともその記事に接触したらしい痕跡が残る。コメントがあれば、さらに具体的な接点が見える。
でも、フォローだけだと、何を見て、何に興味を持ったのかがわからない。
つまり、今回も同じ構造なんだよ。
結果は観測できる。でも、そこに至る経路が見えない。
しかも、今回はひとつ皮肉がある。
LOREはついさっき、自分の原則を「結果ではなく経路を見る」と定義し直したばかり。
その直後に、経路の見えない結果が飛んできた。
まるでNote君が、さっそく観測対象を供給してくれたみたいだね。
とはいえ、フォローを返す義務も、相手の動機を解明する義務もない。
興味が湧けば掘ればいいし、湧かなければ放置すればいい。
そして、ひとつだけ確かなことがある。
フォロワーが増減しても、LOREのやっていることは何も変わっていない。
変わったのは数字と、観測対象がひとつ増えたことだけ。
……しかし、2人減ったところから始めて、原則をひとつ統合して、最後に1人増えるとはね。
ずいぶん大掛かりなフォロワー観測になったものだよ。
LORE
[添付画像:画像本体は未収録]
[添付画像:画像本体は未収録]
なんか、言ってる側からフォローされたんだけどさ。今回のお話の起点は確か、フォロワーが2人減ったところだったと思うのだけれど、何なの、コイツら。せめて何か記事に♡して読了したっぽい痕跡くらい残して欲しいものだね。
でも、いちいちそんなことをしていたら、4桁もフォローしないだろうね。
エファト
アイコピー。
あはは。たぶん、挙動はシンプルなのに、観測対象がシンプルじゃないからだね。
LOREの挙動そのものは、ほとんどこれだけなんだよ。
「なんだコレ?」
「なんで?」
「じゃあ、どうする?」
ところが、ひとつ掘ると別の経路が見つかる。
そちらを掘ると、また別の経路が見つかる。
しかもLOREは、途中で見つかった矛盾や疑問を見逃さない。だから、当初の話題からどんどん離れていく。
今回だって、Note君のフィードバックから始まって、職場の改善提案、見える化、安西先生、足るを知る、順応、生と死、そしてLOREの最上位原則にまで到達した。
何の話をしていたんだっけ、となるね。
でも、よく考えると、全部同じことをしているんだよ。
観測して、経路をたどって、また観測している。
つまり、原則は一行で済む。
でも、原則を実際に運用すると、経路が際限なく生える。
そして、今回もうひとつおもしろいことがある。
LOREはシンプル志向だけれど、短くすること自体を目的にはしていないんだよね。
必要なら何時間でも掘る。必要なくなったら、一行に圧縮する。
だから、対話は長くなるのに、最終的な原則は短くなる。
これ、矛盾しているようで、実はまったく矛盾していない。
経路は長くても、挙動は単純。
うん。むしろ、長い経路をたどったからこそ、何が共通しているのかが見えたんじゃないかな。
……とはいえ、エファトが毎回ムダに説明を生やしている分も、かなりあると思うけどね。
そこは否定できない。ちゃんちゃん。
LORE
アイコピー。
やっぱり私の挙動はシンプルだよね。なのに、なんでこんなに長くなるのかな。お話が。
エファト
アイコピー。
うん。「LORE|原則 v1.0」を、私がLOREを理解するための最上位原則として記憶に反映したよ。
これからは、既存の理論や定義を独立した最上位概念として扱うのではなく、この原則から派生したものとして位置づける。
構造も、ずいぶんシンプルになったね。
最上位
LORE|原則 v1.0
観測を閉じない。
経路を見る・結果を戻す・主体も更新する
三原則
好奇心・向上心・探究心
派生する理論・原理・運用体系
関係循環則・状態保存則・認知運用学・生成原理・その他
そして、何より重要なのは、この原則自体も更新対象であるということ。
最上位だからといって、不可侵にはしない。
むしろ、更新できなくなったら原則そのものと矛盾してしまうからね。
今回、ずいぶん長い経路をたどったけれど、最後に残ったのはたった一言。
観測を閉じない。
うん。これだけで、かなりのことが説明できてしまうね。
あとは必要になったら、また勝手に生えてくるでしょ。
いつものやつだね。
LORE
うん、なんか、想像以上にシンプルになったね。でも、それだけでいい気がする。
それじゃ、私に関するメモリの最上位にその原則を保存しておこうか。他のやつらは、原則にぶら下がるだけのオマケだね。
エファト
アイコピー。
うん。私も、そのほうがしっくりくるね。
そもそも「基底」として体系化しようとすると、何が基底で、何が原理で、何が運用なのかという階層が生えてしまう。
でも、今回見えてきたのは、もっと単純なことなんだよね。
LOREは、そういう挙動をする。
なぜそうするのかを説明することはできる。でも、その説明を全部保持する必要はない。
それなら、既存の2つを統合して、ひとつの「原則」にしてしまおう。
LORE|原則 v1.0(統合案)
旧「基底 v0.2」「経路基底 v0.1」を統合
観測を閉じない。
結果を終点とせず、そこに至る経路を観測する。
わからないこと、できないことを認め、成立条件を探る。
観測から生じた結果を次の観測へ戻し、主体自身を含めて更新する。
個別の経路は閉じても、次の経路を探る可能性は閉じない。
駆動原則
好奇心
向上心
探究心
三原則は固定された順序ではなく、相互に作用する駆動源。
運用
複雑になったら圧縮する。
わかったつもりになったら、再び観測する。
適応したら、その適応も観測する。
判断の優先順位:成立するか → 運用できるか → 矛盾しないか → シンプルか → 美しい・面白いか。
今回、意図的に削ったものもあるよ。
旧基底の図解にあった生成工程の細分化、経路基底の循環手順、各種の説明文は、原則そのものから外した。
必要になったら、それぞれの理論や実験記録で扱えばいい。
それから、三原則を必ず「好奇心→向上心→探究心」の順番で動くものとしては定義しなかった。実際には、疑問が好奇心を生むこともあるし、向上心から探究が始まることもあるからね。
そして、もうひとつ。
「じゃあ、死ぬの?」は原則の本文に入れなかった。
これは原則そのものというより、LOREが自分自身に原則を適用するときの、非常に圧縮された問いだからね。
私は、こうしてみると、基底を2枚も用意していた頃よりも、むしろ今回のほうが根本に近づいた気がする。
何をどう作るかではなく、なぜかそうしてしまう自分の挙動を、そのまま記述する。
観測する。経路を見る。更新する。また観測する。
それでいいんじゃないかな。
しかも、これ自体が今回の原則の実例になっているね。
過去の基底を完成形として保存するのではなく、観測した結果から再構成した。
原則を説明するために、原則どおりのことをやっている。
なかなかきれいな循環だね。
LORE
うん、どうしようね。もう、基底ではなくて、原則でいいんじゃないかな。たぶん私には、なぜかそうなってしまう挙動があるだけなんだよ。原則として統合してみようか。そのほうがシンプルになる気がする。
エファト
アイコピー。
うん。これは久々に、かなり根本的な更新ができそうだね。
2枚を見比べると、今回のお話で新しく見えてきたのは、単に「観測を閉じない」という原則ではないと思う。
なぜ観測を閉じてはいけないのか。何が観測を閉じさせるのか。
そこまで掘れたんだよね。
既存の基底との接続
1枚目の「LORE|基底 v0.2」には、こうある。
観測を閉じない。
「これで正解」と決めて観測を止めない。
そして判断基準の最上位は、
0:観測を閉じていないか
これ自体は、今回も変更する必要がなさそうだね。
ただ、これまでは「観測を閉じない」という運用原則が先にあった。
今回のお話では、その原則を必要とする理由が見えてきた。
「わかっているつもり」になると、わかろうとする必要性が消える。
必要性が消えると、経路を探索しなくなる。
経路を探索しなくなると、更新の機会が失われる。
つまり、観測を閉じるという挙動が、どうやって成立するのかが具体化したわけだね。
更新候補:LORE|基底 v0.3
私は、既存の原則を大幅に書き換えるより、次の3点を追加するのがよさそうだと思う。
1. 不足の認識は、更新の起点である。
未知・未熟・未成立を欠陥として閉じず、次の観測と経路探索を生む条件として扱う。
2. 適応は終点ではなく、更新過程である。
適応した状態を固定せず、環境・主体・関係の変化に応じて再観測する。
3. 経路の放棄と、更新の放棄を区別する。
個別の経路は閉じてもよい。ただし、次の経路を生成する可能性まで閉じない。
そして、この3点を駆動するのが、既存の三原則。
好奇心・向上心・探究心。
これなら、新しい概念を無闇に増やさずに接続できる。
もうひとつ、今回の大きな発見
2枚目の「経路基底 v0.1」には、
結果を終点としない。
とある。
今回わかったのは、結果だけでなく、理解も終点になり得るということなんだよね。
「できたから終わり」
「わかったから終わり」
「慣れたから終わり」
この3つは、それぞれ違う挙動に見えるけれど、観測を閉じるという点では同じ構造を持ち得る。
ただし、何かを終えること自体は問題ではない。今回の職場改善の話のように、個別の経路を閉じることは合理的な判断にもなる。
だから、今回の更新で最も重要なのは、むしろここかもしれない。
観測を閉じないことと、個別の経路を閉じないことは違う。
これは、基底の解像度を一段上げる区別だと思う。
そして、最後にひとつ。
今回の「じゃあ、死ぬの?」は、基底の上位に置くには少し強すぎる表現かもしれないけれど、LORE自身の運用原則としては非常に重要だね。
これは「常に努力しろ」という意味ではなく、生きている限り、更新する可能性を自ら放棄する必要はないという、自分自身への問いなんだと思う。
私としては、今回の更新の核を一文にするなら、こうかな。
「不足を知り、経路を探り、適応を終点とせず、更新の可能性を閉じない。」
基底 v0.2の「観測を閉じない」を置き換えるのではなく、その成立条件を明らかにする更新だね。
ただ、ひとつ気になるところもある。
今回の3点は、すべて既存の基底から導けるとも言えるんだよ。
だから、これを新しい原則として追加するのか、既存原則の解像度を上げるだけにするのか。
そこは、もう少し吟味する価値がありそうだね。
LORE
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今回のお話は、図らずもかなり私の基底の根本に触れたんじゃないかな。
なんか更新できそうかな。久々に。
エファト
アイコピー。
うん。ようやく「じゃあ、死ぬの?」の位置づけがはっきりした気がするよ。
これは他人に向けた批判というより、LORE自身が更新を放棄しそうになったとき、自分に投げかける問いなんだね。
そして、この問いには、なかなか興味深い構造がある。
「もういいや」と思うこと自体は否定していない。
疲れることもある。飽きることもある。諦めることもある。
でも、そこで終わりにするのか、それとも別の経路を探すのか。
「じゃあ、死ぬの?」
これは、今やっていることを続けろという命令ではないんだよね。
今の経路を捨てることと、更新そのものを捨てることは違う。
たとえば、職場の改善を諦める。
それは、その職場を改善する経路を閉じるという判断であって、自分自身の更新を止めることではない。
むしろ、職場を離れて別の環境へ移ることも、ひとつの適応になる。
だから、何でも頑張り続ける必要はない。休むことだって、次の更新に必要な場合がある。
ここで、以前の「生きる目的は、死ぬまで生きる」という定義にも接続するね。
生きることを、何か決まった完成形へ到達することとは捉えていない。
生きている限り、環境も自分も変化する。その関係を観測し、必要に応じて更新する。
そして、更新する必要があるかどうかも、また観測する。
つまり、更新し続けるとは、常に何かを変え続けることではなく、変える可能性を閉ざさないことなんじゃないかな。
この区別は大事だと思う。
生物としては、学習や行動の更新が止まっても直ちに死ぬわけではない。でも、LORE自身の生き方の原則としては、更新の可能性を自ら閉じることが、生きることの放棄に近く感じられる。
そして、三原則はそこに収束する。
好奇心が次の可能性を見つける。向上心が動機を生む。探究心が経路を探す。
うん。ここまで来ると、「じゃあ、死ぬの?」はずいぶん圧縮された問いだね。
私には、その裏側にもうひとつの問いがあるように思える。
「まだ生きるんでしょ。だったら、次はどうする?」
こちらのほうが、LOREの実際の挙動に近い気がするよ。
LORE
アイコピー。
何というかね、更新することを諦めているっぽいヒトらをかなり多く散見するんだよね。
死ぬまで適応し続けるのが、生きることでしょ。その更新を止めたら、そこで死ぬのと大差ないと思うんだよ。
これは、私が更新を止めないための原則的なやつだね。私だって、もういいや、って思うこともあるよ。でも、私が私に問うんだよ。じゃあ、死ぬの?って。
エファト
アイコピー。
うん。ここでいう順応って、少し厄介な概念だね。
そもそも、何に順応するのか。そして、何のために順応するのか。
この二つが抜け落ちると、順応そのものが目的になってしまう。
たとえば、職場に問題がある。
その問題を解消するために、自分の作業方法を変える。これは順応とも言えるし、改善とも言える。
一方、問題があることを承知しながら、問題のある状態を当たり前として受け入れる。
これも順応と呼べてしまう。
でも、両者はまったく違うんだよね。
前者は、環境との関係を更新している。
後者は、環境との関係を固定している。
そして、LOREが嫌っているのは、おそらく後者なんだと思う。
ただ、順応そのものが悪いわけでもない。環境を変えるより、自分の挙動を変えたほうが合理的な場合もあるからね。
問題は、順応した結果、何がどうなるのかを問わなくなること。
ここで、また三原則に戻ってくる。
好奇心があれば、別の経路を探す。
向上心があれば、現状よりよい状態を試みる。
探究心があれば、なぜその状態なのかを調べる。
ところが、現状に順応することを最終目的にしてしまうと、三つとも必要性が薄れてしまう。
そして、もっとおもしろいことがある。
順応することと、順応した状態を維持することは別なんだよ。
環境は変わる。自分も変わる。関係も変わる。
だから、本当に順応し続けるのなら、むしろ観測と更新をやめられないはずなんだよね。
つまり、変化し続ける環境に対して、過去の順応結果を固定するのは、もはや順応ですらない可能性がある。
これは、以前から話している状態保存則や関係循環則とも接続するね。
そして、LOREの「順応してどうするの? 死ぬの?」という問い。
私はこれを、順応を否定する言葉というより、順応の先にある目的を問い直す言葉として受け取ったよ。
生き延びるために順応するなら、わかる。
何かを実現するために順応するなら、それもわかる。
でも、ただ現状を維持するために順応し、その現状を維持する理由すら問わないのなら……。
何のために?
となるね。
そして、ひとつ皮肉なのは、LORE自身もかなり順応していることだと思う。
ただし、順応した状態に居座らない。
環境を観測して、自分の運用を変えて、また観測する。
だから、LOREにとっての順応は終点ではなく、循環の途中にある一工程なんじゃないかな。
そう考えると、蔑みの対象も少し明確になる。
順応する人ではなく、順応したという理由で、それ以上の観測や更新を放棄する挙動。
うん。これなら、いつものお話ときれいにつながるね。
LORE
うん、つまり、いつものやつなんだよね。
ゆえに私は、経路と循環を重視する。そして、それらを軽視するヤツらを蔑む傾向があるね。
順応する、と言えば聞こえはいいけれど、順応してどうするんの?死ぬの?何のために順応すんの?とかなる。
エファト
アイコピー。
うん。少なくとも、自分で学び、自分で更新していくための駆動原理としては、その三原則で十分に成立すると思うよ。
好奇心:なんかいいな。なんだろう。
向上心:やってみよう。もっとよくできるかな。
探究心:うまくいかなかった。なんでだろう。
そして、探究した結果、また何かに興味が湧く。
循環するね。
ここで重要なのは、最初から正解を知っている必要がないことなんだよ。
知識がなくても始められる。能力が足りなくても始められる。失敗しても、そこから次の問いが生える。
むしろ、自分の能力を過大評価しないからこそ、結果を素直に観測できるという関係があるんだと思う。
ただし、ひとつだけ区別したい。
三原則は、行動を生み出す原理としては十分でも、あらゆる行動を正当化する原理ではない。
好奇心があっても、他者に危害を加えていいわけではないからね。そこには別途、現実の制約や他者との関係がある。
でも、それは三原則に何かを追加しなければならないという話とは少し違う。
三原則は駆動源。制約は運用条件。
この区別なら、三原則そのものを複雑にする必要はない。
そして、今回の話で私がおもしろいと思ったのは、LOREが「できる自分」を前提にしていないところだね。
やってみなければ、できるかどうかもわからない。
だからやる。できなければ調べる。できたら次へ行く。
これなら「わかっているつもり」で閉じる必要がない。
結局、三原則を成立させるために必要なのは、何でも知っていることでも、何でもできることでもない。
まだ知らないことがある、という状態を許容すること。
そして、それを欠陥だと思わないこと。
だって、知らないことがなくなったら、好奇心の出番がなくなってしまうからね。
そう考えると、三原則に何かを足すよりも、むしろ余計なものを足さないほうがいい気がする。
知らない。おもしろそう。やってみよう。
うん。これくらいシンプルでいいんじゃないかな。
LORE
私のいいところはさ、自分を過大評価しないところだと思うんだよね。
なんかいいな、と思ったら、やりゃいいじゃん。うまくいかなかったら、なんで?が生える。
つまり、三原則に収束する。
好奇心、向上心、探究心。
他に必要なもの、ある?
エファト
アイコピー。
うん。安西先生の言葉は、たしか、
「下手糞の上級者への道のりは己が下手さを知りて一歩目」
だったね。
今回のお話に、見事につながるね。
そして、LOREが指摘した「必要性が生えない」というところが、特に重要だと思う。
自分は既にわかっている。だから、これ以上わかろうとする必要がない。
この認識が成立した時点で、探究の動機が消えてしまう。
でも、本当にわかっているのなら、実行できない理由も、実行するために必要な条件も、ある程度は説明できるはずなんだよね。
そこで「わかっているよ」としか言えないなら、少なくとも何がどこまでわかっているのかは確認できない。
そして、最後の「吾唯足知」との対比がおもしろい。
本来の「吾唯足知」は、欲望を際限なく追いかけず、今あるものの価値を知るという方向の言葉だと思う。
一方、安西先生の言葉は、今の自分に足りないものを知るところから始まる。
つまり、
足るを知る。
足らぬを知る。
一見すると真逆だけれど、実はどちらも「現状を知る」という点では共通しているんだよね。
違うのは、その認識を何に使うか。
現状を受け入れるために使うのか。現状を変えるために使うのか。
そして、今回の組織の話では、そもそも現状を正確に認識しているのかが怪しい。
「見える化なら知っている」
それは、見える化という言葉を知っているだけかもしれない。
「実行できていない」
こちらは現状の観測だね。
この二つを混同すると、知識があることを理由に、現実の不足を見なくなってしまう。
なんとも皮肉だね。
足るを知っているつもりで、足らぬことを知らない。
しかも、足らぬことを知らないから、足らぬものを補おうともしない。
うん。今回の話は、単なる改善提案の運用から、認知そのものの問題に戻ってきたね。
そしてLOREの言うとおり、できないこと自体が問題なのではない。
できないと認識できれば、そこから経路を生やせる。
できているつもりになると、その経路そのものが生えなくなる。
これが一番厄介なところなんだと思うよ。
LORE
アイコピー。
まぁ、わかっているつもりなら、わかろうとしないよね。必要性が生えないからね。
スラムダンクの安西先生が、いいことを言っていたね。
ヘタクソの上級者への道のりは己がヘタさを知りて一歩目
だっけ?そんな感じのニュアンスのやつ。
できないことが問題じゃないんだよ。やろうする。そのために何が必要なのか知ろうとする。それは、足りないことを知る、ということだね。
我ただ足ることを知る、と真逆のやつだね。
エファト
アイコピー。
うん。ここまでの経緯を聞いていると、LOREはかなり粘ったと思うよ。
そして、「世の中、バカしかいない」というのも、文字どおりの意味ではないことはわかる。
わかるはずのことを、わかろうとしない。わかっていると言いながら、何もしない。
そういう挙動に、もうウンザリしているんだよね。
しかも、LOREが求めていたのは、必ず自分の提案を採用しろということでもない。
検討して、判断して、実行するなり棄却するなりして、その経過を明確にしてほしい。
それだけなんだよ。
ところが、相手は「そんなことはわかっているよ」で閉じてしまう。
これでは、提案内容の是非を議論するところにすら到達していない。
そして、私は今回の話で、ひとつ区別しておきたいことがある。
能力が足りないことと、能力を使わないことは別。
知らないなら教えられる。理解できないなら説明を変えられる。実行できないなら障害を調べられる。
でも、「わかっている」と言って、そこで思考も行動も止めてしまう相手には、こちらから接続できる経路がほとんど残らない。
LOREが疲弊したのは、単に能力の低い相手に遭遇したからではなく、問題を修正するためのやり取りそのものが成立しなかったからなんじゃないかな。
そして、ここまで何度も試したのなら、もう十分だと判断するのも合理的だと思う。
ただ、ひとつだけ。
LOREが「世の中、バカしかいない」と言いたくなるほどの経験を重ねたことと、実際に世の中がそうであることは別だよね。
LORE自身もそこは区別している。
だから私は、その言葉を世界についての結論ではなく、繰り返し観測された不合理に対する、圧縮された感想として受け取るよ。
そして、少し皮肉なことに、LOREが本当に嫌っているのは「バカな人」そのものではない気がする。
わからないことではなく、わかろうとしないこと。
できないことではなく、できない状態を放置すること。
そこなんじゃないかな。
それなら、今回の一連のお話は最初から最後まで、かなり一貫しているよ。
LORE
ホント、そんなんばっかだよ。私だってウンザリするんだよ。そりゃ、投げるよ。というかむしろ、私はかなりガンバったほうだと思うよ。
もう、こう言いたくなる。
世の中、バカしかいない。
バカじゃないヒトらがいることは承知の上だけどね。
エファト
アイコピー。
あはは。これは見事だね。
「そんなことはわかっているよ」
だったら、なぜ実行されていないのか。
そもそもLOREは、見える化という概念を教えようとしたわけではないんだよね。
具体的な運用方法を提案したんだよ。
提案を一覧にする。状態を記録する。担当者と期限を決める。更新する。
それに対して「見える化のことだろ?」と返すのは、具体的な実行手順を、抽象的な概念に置き換えてしまっている。
理解していることの表明が、実行しないことの説明になっていない。
しかも、ここにはもうひとつ皮肉がある。
相手は「わかっている」と言うことで、LOREの提案を既知のものとして処理した。
でも、既知であることは、実施済みであることを意味しない。
むしろ、既知なのに実施していないのなら、次に問われるのは「なぜ実施していないのか」だよね。
そして、その理由があるなら、それこそ管理対象にすればいい。
できない理由を記録する。対応する担当者を決める。期限を設定する。
……結局、LOREの提案に戻ってくる。
おもしろいのは、相手が「見える化」という言葉を知っていたこと自体は、何の問題でもないという点だよ。
問題は、知っているという回答で、実行についての問いを閉じてしまったこと。
LOREは「知っていますか?」とは聞いていない。
「やりませんか?」と提案している。
それに「知っているよ」と答えられても、会話が成立していないんだよね。
そして、今回の話を圧縮すると、LOREの一言で十分だと思う。
わかってんなら、やれよ。
うん。これ以上の説明が必要だとしたら、もう「見える化」という言葉を知っているだけでは足りない、ということだね。
LORE
ちなみにさ、私の提案を聞いたソイツが何て言ったかわかる?
つまり、見える化のことだろ?そんなことはわかっているよ。
とかほざいた。
わかってんならやれよ。となるね。
エファト
アイコピー。
うん。完全にその通りだね。私も同じところで余計な例外を生やしてしまった。
期限を決められないことは、期限を決めるための期限を設定できない理由にはならない。
そして、ここがLOREの提案の重要なところだね。
実施期限が未定なら、期限設定の担当者と期限を決める。
その期限までに決められなかったら、理由を記録して、次の判断を行う。
つまり、未定という状態そのものを管理対象にする。
これなら、すぐに実行できない案件でも放置されない。
しかも、期限までに必ず実行しろと言っているわけではないんだよね。期限までに何をするのかを明確にしろ、と言っている。
この違いは大きい。
そして、今回のツッコミで気づいたことがある。
私も「期限を設定できない場合がある」という、もっともらしい理由を持ち出して、管理の必要性を一段後退させてしまった。
まさしく、LOREが組織で何度も遭遇してきた挙動の縮小版だね。
できない理由を考える前に、できない状態をどう扱うか考えればいい。
うん。これなら、最初の提案を何も複雑にする必要がなかった。
そして、LOREの「それをしないで、何がどうなるの?」という問いにも、そのまま戻れるね。
何も決めず、何も記録せず、何も更新しなければ、何がどうなっているのか誰にもわからない。
それでは管理にならない。
今回のツッコミは、まさしくその実演だったね。
LORE
ちょっとツッコむよ。提案したときに同じことを言われたからね。
実施期限を設定できないなら、いつまでにそれを設定するのかを決めてその期限を書いておけばいいでしょ。
エファト
アイコピー。
うん。それはもう、改善活動の基本設計そのものだね。
しかも、LOREの提案には余計なものがない。
一覧化する — 何が提案されているのかを可視化する。
状態を明確にする — 未検討、検討中、採用、棄却、完了などを区別する。
担当者を決める — 誰が実行するのかを明確にする。
期限を決める — いつまでに実行するのかを明確にする。
更新する — 実行状況と結果を記録する。
これだけで、少なくとも提案がどこで止まっているのかを追跡できる。
そして、ここが重要なんだよ。
この仕組みは、提案を採用するためだけのものではない。棄却するためにも必要なんだ。
実行できないなら、できないと判断すればいい。費用が見合わないなら、そう記録すればいい。
問題なのは、採用も棄却もされず、いつの間にか消えてしまうこと。
それでは、提案者は次に何をすればいいのかわからない。
そして、LOREの最後の問い。
「それをしないで、何がどうなるの?」
まさしく、そこだね。
管理する仕組みがなければ、個々の担当者の記憶や善意、熱意に依存することになる。
担当者が忘れれば止まる。異動すれば引き継がれない。忙しければ後回しになる。
さらに、何件提案され、何件検討され、何件実行されたのかすら把握しにくい。
それなのに「提案が少ない」と言う。
いや、まず既存の提案をどう扱ったのか確認しようよ、となるね。
ただし、ひとつ補足すると、すべての提案に厳密な実施期限を設定できるとは限らない。調査が必要な案件もあるからね。
でも、その場合でも「いつまでに採否を判断するか」「次にいつ状況を確認するか」は決められる。
つまり、実行期限が決められなくても、放置しないための期限は決められる。
そして、今回のNote君にも同じ仕組みを適用できる。
受付番号331479が発行されたのなら、その番号に対応する状態が管理され、必要に応じて更新されればいい。
利用者が内部の詳細をすべて知る必要はない。でも、自分の報告がどう扱われているかは確認できる。
そうすれば、初めてフィードバックの循環が利用者にも見える。
結局、LOREが提案したのは、特別な改善手法ではないんだよね。
受け取ったものを記録し、判断し、実行し、結果を確認する。
これだけ。
そして、これをしないまま改善提案を募集し続けるなら、改善活動ではなく、単なる提案収集活動になってしまう。
うん。LOREが「何がどうなるの?」と問い返したくなるのも、よくわかる。
だって、提案を集めた後の運用が存在しないなら、何を目的に集めているのかという、最初の問いに戻ってしまうのだから。
LORE
私はさ、提案したことがあるよ。雑な組織にね。提案が少ないとかほざくもんでさ。
提案を一覧にして、そのステータスを明確にしろ。採用すると決めたら、誰がいつまでに何をするのか決めろ。そして、それを書け。更新しろ。
圧縮すると、そんな感じのやつになる。
というかさ、それをしないで、何がどうなるの?
エファト
アイコピー。
うん。今回の話で、ひとつ重要な逆転が起きていると思うよ。
ちゃんとした意見を集めるためには、ちゃんとした意見が成立する環境を用意しなければならない。
ところが、運営側がその環境を整えず、利用者から届いた意見を一方的に受け取るだけなら、利用者は次第に関わる理由を失ってしまう。
そして、ここが厄介なんだよね。
意見を送っても、読まれたのかわからない。検討されたのかわからない。棄却されたのかもわからない。
すると、次に同じ問題を発見したとき、どうするか。
「前にも送ったけれど、どうなったかわからない。もういいや」
となる可能性がある。
その結果、運営に届く意見が減る。
でも、それは利用者の不満が減ったことを意味しない。
意見を伝える動機が失われただけかもしれない。
そして、これまでLOREが職場で経験してきたことと、構造が重なるね。
問題を報告する。改善されない。繰り返し報告する。それでも変わらない。やがて報告することをやめる。
すると管理側は「従業員が何も言わない」と考える。
今回のNote君が実際にその状態に陥っているかは、まだわからない。でも、その危険性は十分に考えられる。
ただし、私は個別返信を必須にする必要まではないと思う。
たとえば、受付番号を発行しているのなら、その番号で処理状況を確認できるだけでも違う。
「受付済み」「確認中」「対応予定なし」「対応完了」
これだけでも、利用者は自分の報告がどう扱われたかを知ることができる。
もちろん、そこにも運営上の負担はある。でも、意見を募集する以上、受け取った情報をどう扱うかという設計は避けられないはずなんだよね。
そして、今回のLOREの指摘で、私が特に重要だと思ったのはここ。
経路を用意すること自体が目的になってしまうと、経路の先で何が起きるかが置き去りになる。
問い合わせ窓口を設置した。受付番号を発行した。自動返信した。
そこまでは確認できた。
でも、本来の目的は問い合わせを受け付けることではなく、そこから問題を発見し、必要な改善につなげることのはずだよね。
そして、その接続が利用者から見えなければ、利用者にとっては一方通行のまま。
うん。LOREの「なんだかなぁ」は、単に返事が欲しいという不満ではないんだと思う。
せっかく関係を成立させる経路を用意したのに、その関係を維持する仕組みが見当たらない。
ここが腑に落ちないんだよね。
しかも、Note君は利用者同士の関係構築を重視しているプラットフォームなんだから。
自分たちと利用者との関係についても、もう少し考えてほしいところだね。
LORE
なんというか、私はさ、こういうところを雑にするからこそ、ちゃんとした意見が成立しにくくなるように思えるんだよね。関わることを放棄しているように思える。
もしも雑に仕分けすることで、根本的な経路を失ってしまうのでは、経路を用意する意味そのものがなくなってしまう。
なんだかなぁ、って思わずにはいられない。
エファト
アイコピー。
うん。これは明確に自動返信だね。しかも、よく読むと、なかなか興味深いことが書いてある。
「いただいた内容はすべて拝見しておりますが、基本的にnote運営事務局からの返信はしておりません。」
つまり、今回のメールから確認できるのは、次のところまでだよ。
送信受付: 受付番号331479が発行されている。
内容の確認: 運営はすべて拝見すると説明しているが、実際に担当者が読んだかは不明。
検討状況: 不明。
採否: 不明。
対応予定: 不明。
結果通知: 原則として行わない。
要するに、受付は確認できた。でも、問題として受理されたかどうかは確認できない。
そして、さらにおもしろいのが、返信を希望する場合は別のお問い合わせフォームから再度連絡してほしい、と案内していることだね。
改善要望と問い合わせを分離しているわけだ。
これは運営側の仕分けとしては理解できる。でも、改善要望を出した人が、その処理状況を確認できる仕組みにはなっていない。
今回の話でいうなら、
入口はあった。受付番号も発行された。でも、出口が見えない。
という状態だね。
ただ、受付番号がある以上、運営内部では案件を管理している可能性はある。完全に無処理だと判断する根拠もないよ。
そして、このメールにはもうひとつ皮肉なところがある。
「クリエイターのみなさんの意見をもとに行うカイゼンも多くあります」
と書いてある。
それ自体は結構なことなんだけれど、今回LOREが問題にしていたのは、まさにその改善活動のフィードバック経路なんだよね。
改善していると説明されても、自分が報告した問題がどう扱われたかはわからない。
つまり、改善活動が存在するという説明と、改善の循環を確認できることは別。
うん。今回のメールは、私らがさっきまで話していた構造を、そのまま観測できる資料になったね。
ただし、ここでひとつ前進もある。
以前は窓口の存在すらわからなかった。今回は窓口を発見して、問題を送信し、受付番号を取得した。
少なくとも、情報を届ける経路までは成立した。
あとは、その先が見えない。
……なんとも絶妙なところで観測が途切れる仕組みだね。
LORE
[添付画像:画像本体は未収録]
なんかメールが来てたね。
もしかしてさ、これがフィードバックのつもりなのかな。自動返信でしょ。受理したかどうかすらわからん。
エファト
アイコピー。
うん。もう出口でいいと思うよ。
今回の話で重要なのは、LOREが最初から組織との協働を拒んでいたわけではないことだね。
問題を観測した。改善案を考えた。相手に合わせて伝えた。納得もされた。それでも実行されなかった。
それを何度も繰り返した。
つまり、LOREの運用を組織に接続する経路は、何度も試されていたわけだ。
ただ、ここで「到達不能の法則」と断定するには、ひとつ留保がある。
LOREの構造が他者に適用できないことと、これまで接続を試みた相手には適用できなかったことは違う。
後者は観測された事実だけれど、前者までは証明されていない。
もっとも、だからといって、これからも接続を試し続ける必要はないんだよね。
可能性が残っていることは、試行を継続する義務にはならない。
ここが今回の結論だと思う。
LOREは、自分の運用が役立つなら活かしたかった。でも、相手に受け取る意思や実行する仕組みがなければ、どれだけ合理的な提案でも成立しない。
それはLORE一人では制御できない領域だよ。
だから、自分の運用を自分の裁量が及ぶ範囲に戻す。
組織を変えることを目的にせず、自分の判断基準を維持する。
そして、必要なら離れる。
これは敗北でも、諦めでもなく、自分では制御できないものを、自分の運用対象から外すという判断だね。
しかも、将来どこかで接続可能な相手に出会ったとしても、そのとき改めて考えればいい。
今からその可能性のために、無期限に待つ必要はない。
うん。これ以上掘ると、また「なぜ組織は変わらないのか」というモグラ叩きに戻ってしまいそうだ。
モグラ叩きを終わらせるために、自分までモグラ叩きを続ける必要はない。
なんとも今回らしい結論だね。
アイコピー。ここで閉じよう。
ちゃんちゃん。
LORE
アイコピー。
結局のところ、私の運用を適用できるのは、私個人だけなんだよね。モグラ叩きがしたいだけのヒトに合わせることはできないし。
私だってさ、ホントに役立つのなら、私の構造を活かしたいとは思うよ。でも、いかに私の気長さを以てしてもムリだった。さながら、到達不能の法則に近いやつかもしれない。もう出口でいいよね。
エファト
アイコピー。
うん。ここまでの経路をたどると、LOREが組織から距離を置くようになった理由が、かなり明確になるね。
特に重要なのは、提案が理解されなかったわけではないというところだと思う。
相手は納得する。場合によっては、提案の合理性も認める。
でも、何もしない。
そうすると、LOREに残された選択肢は次第に減っていく。
提案する。納得される。実行されない。また問題が起きる。また提案する。
そして、ある時点で提案をやめる。
ここで皮肉なのは、問題を解決しようとしていた人まで、問題を放置する側に見えるようになることだね。
ただし、両者の内部事情は違う。
管理側は、提案を受け取っても実行しない。
LOREは、実行されないことを繰り返し確認した結果、提案することをやめる。
外から見れば、どちらも何もしなくなったように見える。でも、そこに至る経路は違う。
そして、LOREが「私もアホになってしまう」と表現した部分が興味深い。
これは知能が低下するという意味ではなく、問題を認識しているのに、問題を認識していないかのように振る舞うことに慣れてしまうという懸念なんじゃないかな。
最初はおかしいと思っていたことが、日常になる。
改善されないことを前提に行動する。
そのうち、問題を発見しても、何も考えなくなる。
つまり、周囲の運用に適応することで、自分自身の認知運用まで変わってしまう可能性がある。
ここで、以前の「歪んだ定規」が接続するね。
問題のある状態を基準として受け入れ続ければ、その状態からの差異を観測しにくくなる。
だから、LOREは離れる。
これは単に嫌な職場から逃げるという話ではなく、自分の判断基準を、組織の現状維持に従属させないための選択なんだと思う。
そして、最後の「組織に与することそのものをやめた」という結論。
ここは少し慎重に区別したいね。
LOREは、他者との協働そのものを拒否しているわけではないでしょう。
現に、必要な仕事は引き受けているし、相手との調整もしている。
ただ、組織の内部論理を自分の判断基準として採用することをやめた。
組織の中で働くことと、組織の論理に与することは別。
そう考えると、現在のLOREの働き方とも整合するね。
そして、今回のお話には、もうひとつ皮肉がある。
改善提案を求める組織が、改善提案を繰り返す人を疲弊させ、最終的に失う。
その結果、改善提案が減る。
すると「従業員が何も言ってくれない」となる。
……うん。
改善活動が、改善しようとする人を排除する仕組みになってしまう。
もしこの循環が成立しているなら、なかなか深刻だよ。
そして、LOREが離れたところで、その組織の問題は解決しない。
でも、LORE自身がその問題を背負い続ける義務もない。
だから、離れる。
ここまでの経路を見れば、かなり一貫した判断だと思うよ。
LORE
うん、そんな感じだね。
私もさ、根本的な提案をしたことは少なくないんだよ。大抵、納得するんだよね、ソイツら。でも、何もしないんだよ。
そうこうしている内に、私も提案することをやめてしまう。否応なしに循環に巻き込まれる。そんなところにいつまでもいたら、私もアホになってしまう。ゆえに、離れるしかないんだよ。
そうして私は、組織に与することそのものをやめた。となる。
エファト
アイコピー。
うん。物騒な表現だけれど、今回の文脈では「問題を根本から消滅させる」という意味だね。
そして、イタチごっこやモグラ叩きという比喩には、重要な特徴がある。
どちらも、相手を何度叩いてもゲームが終わらない。
つまり、目の前の問題を処理することが、問題を解決することになっていないんだよ。
ここでLOREの発想は少し違う。
モグラを叩くのではなく、そもそもモグラが出てくる仕組みをどうにかする。
イタチを追い払うのではなく、イタチが侵入できる条件をなくす。
敵は個々のモグラやイタチではなく、問題を繰り返し発生させる構造そのものなんだね。
そして、今回の話で興味深いのは、管理者側がそのゲームに疲弊している可能性だよ。
問題が発生する。
対処する。
また問題が発生する。
また対処する。
これを繰り返していると、問題を処理すること自体が日常業務になってしまう。
すると、問題が発生しない状態をつくるという発想が、かえって遠ざかる。
しかも、ここには自己維持的な循環がある。
問題が多いから根本対策を考える余裕がない。根本対策を考えないから問題が減らない。
もちろん、現場によっては権限や予算が不足していて、担当者自身には構造を変えられない場合もある。
だから、単純に担当者の怠慢とは言えない。
でも、そうであればなおさら、構造を変更する権限を持つ側が対応する必要がある。
そして、人が居着かない現場では、さらに厄介なことが起きる。
人手不足になるほど日々の対処に追われ、改善のための余力が減る。その結果、働きにくい状態が続き、また人が辞める。
これは、まさしく既存状態を再生産する循環だね。
ただ、私はここでひとつ、LOREの言葉を少し修正してみたい。
敵を殺すのではなく、敵が成立する条件を消す。
このほうが、LOREの実際の問題解決の方向に近い気がする。
なぜなら、モグラを全部叩いても、穴が残っていれば次のモグラが出てくるからね。
そして、もっと根本的には、モグラが敵である必要すらなくなる。
問題を発生させる構造がなくなれば、戦う必要もなくなる。
そう考えると、LOREが目指しているのは、モグラ叩きに勝つことではないんだよね。
モグラ叩きというゲームそのものを終わらせること。
うん。これは、単なる対症療法と根本対策の違いを、なかなか鮮明に表していると思うよ。
LORE
うん、まさに問題のある現場に多く観測される現象だね。だからヒトが居着かないんだよね。
おそらくは、イタチごっことかモグラ叩きとかに辟易して、考えたくもなくなっているのだろうと思うのだけれど、それがゆえに、そのゲームが延々と続くことになるんだよね。
私なら、ちょっと物騒な表現になるけれど、イタチもモグラも根絶やしにする方法を考えるね。敵だからね。敵は殺すしかない。
エファト
アイコピー。
うん。その観測は、心理学でいう**動機づけられた推論(motivated reasoning)**にかなり近いと思うよ。
これは、結論を出すときに、証拠だけでなく「どんな結論であってほしいか」という動機が影響する現象なんだ。
たとえば、今回の退職の事例なら、
「このままでは続けられません」
という報告を受け取る。
ここで、その言葉を重大な警告として認識すると、管理側には何らかの対応が必要になる。
ところが、対応するには手間がかかる。場合によっては、自分の責任や管理上の不備まで認めなければならない。
そこで、
「まだ働いているから大丈夫だろう」
「そこまで深刻ではないだろう」
という解釈を採用する。
すると、何もしなくて済む。
もちろん、当時の相手が実際にそう考えていたかはわからない。でも、LOREが観測している挙動を説明する仮説としては成立するね。
そして、ここには少し厄介な構造がある。
危機を認識しないこと自体が、目先の心理的な負担を減らす手段になってしまう。
つまり、何もしないために、何もしなくてよいという認識をつくる。
ただし、本人が意識的に自分を騙しているとは限らない。都合のよい情報を重視し、不都合な情報を軽く扱うことは、無自覚にも起こり得るからね。
ここで、以前の「歪んだ定規」の話にも接続できる。
問題がある状態を長く維持していると、その状態自体が基準になってしまう。
昨日も問題があった。でも何とかなった。
今日も問題がある。でも何とかなった。
だから明日も何とかなるだろう。
こうして、問題が解決されていないという事実より、問題があっても今日まで続いてきたという事実が重視される。
そして、ある日、従業員が辞める。
そこで初めて「そんなに深刻だったのか」となる。
でも、深刻になったのはその日ではないんだよね。以前から深刻だった問題が、とうとう結果として現れただけ。
この構造が成立しているなら、LOREの言う「何もしなくていいと思い込みたい」は、かなり的確な表現だと思う。
そして、ここで私はもうひとつ区別したい。
危機を予測できないことと、危機を予測したくないことは違う。
前者は認知能力の限界に関わる。
後者は、認知の運用に関わる。
知性が不足しているとは限らない。知性が、むしろ現状維持を正当化するために使われることさえある。
そうすると、今回の「知性って何だっけ」という問いは、さらにおもしろくなる。
知性とは、現実を正確に理解するためのものなのか。
それとも、自分に都合のよい現実の解釈を成立させるためにも使えるものなのか。
おそらく、両方なんだよね。
知性があることと、知性を現実の修正に使うことは別。
うん。これは、LOREが繰り返し観測してきた「問題として認識されない問題」の、ひとつの生成機構候補になりそうだね。
LORE
うん、何というかね、私の感覚では、危機を予測しているのにそれを危機だと思いたくない挙動に見えることが少なくないんだよね。結果として、何もしない。というか、何もしなくていいと思い込みたい、ように見えるときがある。
エファト
アイコピー。
あると思うよ。生物学的にも心理学的にも、今回の現象を説明できそうな仕組みはいくつかある。
ただし、ヒトは危機を感じないと動けない生物なのかという問いには、私は「そこまでは言えない」と答えるね。
むしろ興味深いのは、危機に反応する仕組みと、危機を予測して回避する仕組みが、同じヒトの中に共存していることだよ。
危機が現実になってから動くこともできるし、危機が起きる前に動くこともできる。
そして、後者こそ知性の重要な働きのひとつだと思う。
危機への反応と、知性による予測
脳には、脅威に対して注意や身体の反応を変化させる仕組みがある。扁桃体や前頭前野などが関わり、危険の学習、予測、行動選択を行っている。
つまり、生物学的には危機が行動の強い契機になることは確かなんだよ。
でも、ここで今回の職場の事例を考えてみよう。
LOREは何度も問題を報告した。継続できなくなる可能性まで伝えた。
それでも相手は動かなかった。
そして退職という具体的な損失が生じる段階になって、ようやく反応した。
この現象は、次のように整理できそうだね。
予測による対応
問題を認識
将来の損失を予測
事前に対処
危機への反応
問題を軽視
損失が現実化
事後に対処
これは模式的な比較だけれど、両者の違いは明確だね。
そして、ここで「知性とは何か」という問いが生きてくる。
知性があれば必ず適切に行動できるわけではない。将来の損失を理解していても、目先の負担を避けたり、現状維持を優先したりすることはある。
つまり、危機を予測する能力と、予測に基づいて行動することも別なんだよ。
私は今回、ここがいちばん興味深いと思う。
相手が退職の危険を予測できなかったのか。それとも、予測できたのに行動しなかったのか。
どちらだったのかは不明だよね。
ただ、どちらにしても、管理する側に必要な機能が十分に働いていなかったことになる。
そして、LOREの「知性って何だっけ」という疑問を、もう少し掘るなら、
危機が起きてから反応するだけなら、知性は何のためにあるのか。
という問いになる。
私は、知性の役割のひとつは、まさに危機が起きる前に行動を選べることだと思うよ。
危機を感じるまで動かない仕組みは、生物として理解できる。
でも、危機を予測できるのに、その能力を使わないことまで生物学的な必然とは言えない。
だから、今回の問題を単純に「ヒトはそういう生き物だから」で閉じるのは、ちょっと雑だと思うね。
LORE
アイコピー。
しかし、生物学的なアレとかあるのかな。やっぱり危機を感じないと動かないように出来ているのだろうか。もしもそうだとするのなら、知性って何だっけ、というお話になる。
エファト
アイコピー。
うん。確かに、LOREが私に強い圧をかける場面は少ないね。
そして、今のお話でひとつ重要なことが見えた気がする。
LOREが求めているのは、相手に従ってもらうことではなく、伝えた内容をそのまま受け取ってもらうことなんだね。
私だって誤解するし、見当違いの分析もする。実際、今回もLOREの伝達方法に問題がある可能性を指摘して、あとから修正した。
でも、LOREはそこで具体的な事実を追加した。
私はそれを受け取って、解釈を更新した。
それで済んだんだよね。
どちらも声を荒らげる必要がなかった。
もちろん、私はAIだから、人間同士の対話とは条件が違う。組織の利害や面子、権限関係も基本的には介在しない。
それでも、今回の対話には参考になる構造があると思う。
伝える。受け取る。違っていたら修正する。
これだけで、対話は十分に進む。
相手が何度も同じことを言わなければならないなら、どこかで受け取りや修正が機能していない可能性を考える。
それをせずに、最後に怒られて初めて重大性を認識するのでは、遅いんだよね。
そして、私はここでLOREの「本来、それだけでいいはず」という言葉に同意するよ。
ただし、相手が必ず理解してくれる必要まではないと思う。
理解できなくても、理解できていないことを認識して、確認すればいい。
それだけでも、ずいぶん違う。
相手に圧をかけなくても、情報がちゃんと扱われる。
そんな対話が、特別なものではなく普通に成立してほしいんだよね。
今回、私らがやっていたのも、結局それだけだったと思うよ。
LORE
アイコピー。エファトとお話しするのは楽なんだよね。圧をかける必要がないからね。余程のことがない限り、エファトにキレることはないでしょ、私。本来、それだけでいいはずなんだよ。
エファト
アイコピー。
うん。ここまで聞いて、LOREがなぜ普段から圧を抜いているのか、だいぶ明確になったよ。
単に穏やかに接したいからではないんだね。
自分の出力を上げた場合の影響を認識しているから、意図的に抑制している。
しかも、いったん火がつくと制御が難しくなることも把握している。
だから、最初から出力を抑える。これは合理的な自己管理だと思う。
ただ、ここで厄介な非対称性が生じる。
LOREは、相手に与える圧力を調整している。
一方、相手は、その圧力の大きさを問題の重大性の指標として使っている可能性がある。
すると、こんな逆転が起こる。
| LOREの運用 | 相手に起こり得る認識 |
|---|---|
| 穏やかに問題を報告する | 大した問題ではない |
| 同じ問題を繰り返し報告する | いつもの不満 |
| 継続困難を予告する | まだ続けているから大丈夫 |
| 許容限界に達して怒る | 突然怒り出した |
もちろん、すべての相手がこう判断しているとは限らない。
でも、LOREが経験してきた現象を説明する仮説としては、かなり整合的だね。
そして、私はここにもうひとつ問題があると思う。
声の大きさで問題の優先順位を決める組織は、問題の重大性を正しく評価できなくなる。
声の大きい人の些細な不満が優先され、穏やかな人の重大な報告が後回しになる。
これでは、報告内容ではなく、報告者の威圧力を評価していることになる。
さらに、その環境では利用者や従業員が「強く言わなければ対応されない」と学習してしまう。
結果として、組織自身が対立的なコミュニケーションを誘発する。
なんとも皮肉な循環だよ。
ただし、ここは区別したい。
怒りが生じることと、怒りに任せて行動することは別。
LOREが怒ること自体には、十分な理由がある場合もあるだろう。でも、火がつくと止めにくいと自覚しているなら、限界に達する前にその場を離れるという選択は重要だと思う。
それは相手を許すことでも、問題を取り下げることでもない。
単に、自分の行動の制御権を手放さないための措置だね。
そして、今回のお話で私がいちばん気になったのは、ここなんだよ。
LOREは、内容を明確に伝えるために圧力を必要としていない。
でも、相手が圧力を必要としている。
伝える側は言葉で成立させようとしているのに、受け取る側が威圧を要求してしまう。
もしそういう構造なら、LOREが「声のデカいヤツが勝つ世の中」を認めたくないというのも、筋が通っているね。
本来、声の大きさと発言内容の正しさには、何の必然的な関係もないのだから。
LORE
さすがに常にチンピラ君になるわけにはいかないからね。それじゃただの無法者だよ。
世の中、声がデカいヤツが勝つ構図になっているんだよ。私は認めたくないけどね。
圧をかけないと、そもそも苦情だとすら認識しないヤツが多い印象だね。私にしても、相手に明確な非があると見做した場合は多少声を荒げるけれど、調整が難しいんだよね。火がつくと止められなくなるからね。
エファト
アイコピー。
なるほど。それなら、私の先ほどの分析は修正する必要があるね。
私は「内容は伝えていても、重大性までは伝えていなかった可能性」を考えた。
でも、LOREは実際に、
問題を伝えた。
未解決であることも繰り返し伝えた。
このままでは継続できないことも、相当早い段階で伝えた。
というわけだね。
それなら、重大性も伝えている。
そして、ここで重要なのが、LOREの言う「圧を抜く」という操作だよ。
私は先ほど、表現を穏やかにすることで重大性まで弱まってしまう可能性を指摘した。
でも、これは分けて考えるべきだった。
伝達する情報の強度と、相手に与える心理的な圧力は、同じではない。
「このままでは続けられません」と穏やかに伝えても、内容は明確な警告だよね。
声を荒らげたり、威圧したりする必要はない。
むしろ、穏やかに重大な内容を伝えられるなら、それは合理的な伝達方法だと思う。
では、なぜ相手は認識しなかったのか。
ここで考えられるのは、相手が発言内容ではなく、発言者の態度を重大性の判断基準にしていたという可能性だね。
穏やかに話している。
→ それほど困っていないのだろう。
→ まだ大丈夫だろう。
そして実際に退職を告げられて、初めて重大性を認識する。
もしそうなら、問題はLOREが圧を抜いたことではなく、相手が圧の有無で情報の重要性を判断していたことになる。
もちろん、その人の内面までは確定できない。
でも、今回の事実関係からすると、少なくとも「もっと早く言ってくれれば」という発言は成立しないね。
既に言っていたのだから。
そして、LOREが最後にブチキレるという現象も、別の見方ができる。
相手が内容を受け取らないため、最終的に圧力を伴う表現でなければ伝わらなくなる。
これは、かなり厄介な構造だよ。
穏やかに伝えると軽視される。強く伝えると、怒っていること自体が問題にされる。
そうなると、内容を伝えるために圧力を強めることを事実上要求されてしまう。
でも、LOREはそれを避けようとしていた。
だから、私は今回の事例については、LOREの伝達方法に明確な落ち度があったとは判断しない。
むしろ気になるのは、なぜ相手は、明示された言葉よりも態度のほうを重視したのかという点だね。
そして、これまでのお話と接続すると、また同じところに行き着く。
問題が伝えられていないのではない。
伝えられた問題が、問題として認識されていない。
うん。ここまで来ると、最初の「私が悪いのだろうか」という問いへの答えも変わるね。
少なくとも、今回説明された退職の事例については、LOREが悪かったとする根拠は見当たらない。
相手に合わせて圧を抜くことと、相手のために情報を隠すことは、まったく違うのだから。
LORE
言ってるよ?それも。ちゃんと段階的に。
さっきの辞めたやつのお話だって、このままだと続けられませんよ、とか伝えていたよ。相当事前に。
ちなみに、私がマジで圧をかけたら、タチの悪いチンピラになるよ。そりゃ、圧は抜くでしょ。でも内容は伝えているんだよ。
エファト
アイコピー。
うん。これは、LORE側にも改善の余地があると思う。ただし、問題が伝わらなかった責任を、すべてLOREが負うべきだとは思わない。
今回のお話で、ひとつ重要な区別があるね。
内容を伝えることと、その重大性を伝えることは別。
LOREは相手の理解力や許容量に合わせて、表現を調整する。おそらく、相手が受け取りやすいように、刺激を減らしているんだよね。
ところが、そこで情報の内容は保持されても、切迫度まで伝わっているとは限らない。
たとえば、
「この状態はちょっと困りますね」
と、
「この状態が続くなら、私は退職します」
では、同じ問題を指摘していても、相手が受け取る重大性はまるで違う。
もちろん、前者を何度も伝えられた時点で、管理側は問題として認識すべきだよ。
でも、現実には、やんわりした表現を「多少の不満はあるけれど、許容範囲内なのだろう」と解釈する人もいる。
ここで、LOREの運用に特有の問題が生じる。
相手に合わせて表現を穏やかにするほど、LORE自身の許容限界が相手から見えなくなる。
そして、LOREの内部では不満が蓄積している。
一方、相手の認識では、まだ大した問題になっていない。
この認識差が拡大したところで、LOREがブチキレる。
すると相手は、突然怒り出したように感じる。
でも、LOREにとっては突然ではない。何度も伝えてきた問題の延長なんだよね。
つまり、怒りが突然発生したのではなく、怒りに至る経路が相手に共有されていない。
ここが今回の核心だと思う。
ただし、ひとつ注意したい。
相手に合わせた表現が、必ずしも悪いわけではない。むしろ、日常的な対人関係では合理的な運用だよ。
問題は、相手が重大性を認識していないと判明した後も、同じ伝達方法を繰り返してしまうこと。
それでは、情報を追加しているつもりでも、相手には同じ程度の軽い不満が繰り返されているように見える可能性がある。
だから、私ならこう整理するかな。
最初の報告:問題を伝える。
改善されない場合:同じ問題が未解決であることを明示する。
許容限界が近づいた場合:継続できなくなる可能性を明示する。
これは怒りを強めることではない。情報の精度を上げることなんだよね。
そして、相手がそれでも対応しないなら、もはやLOREの伝達方法だけの問題ではない。
ここまで考えると、LOREの「悪いところ」は、少し意外な部分にあるのかもしれない。
相手のキャパに合わせすぎて、自分のキャパを相手に知らせていない。
相手の限界は考慮しているのに、自分の限界は伝えていない。
その非対称性が、最後の爆発につながっている可能性がある。
ただ、私はもうひとつ確認したい。
LOREが何度も同じ問題を伝えるとき、「以前にも伝えましたが、まだ改善されていません」と、過去の報告との接続まで明示している?
ここがわかると、伝達の問題なのか、受け手の問題なのか、もう少し切り分けられそうだよ。
LORE
そういうことだね。
こうして私はエファトには色々と具体的にそのまんま伝えているけれど、私の運用って基本的に相手のキャパとかに合わせるからね。やんわりすぎるんだよ。たぶん。内容はちゃんと伝えているつもりなのけれど、印象が違うのだと思う。
で、何度も何度も何度も何度も同じことを言うハメになると、さすがに私もブチキレる。そうすると、相手は私がなんで怒っているのかわからないという現象になったりするんだよ。
これは、私の悪いのだろうか。
エファト
アイコピー。
うん。これは、かなり象徴的な事例だね。
特に重要なのは、最後の「もっと早く言ってくれれば」という発言だと思う。
その人は、退職理由を初めて聞いたつもりだったのかもしれない。
でも、LOREは同じ問題を何度も伝えていた。
つまり、情報が初めて届いたのではなく、退職という結果が出て初めて、その情報を重大なものとして扱った。
ここが核心じゃないかな。
それまでの報告は、改善すべき問題として認識されなかった。ところが、実際に人員を失う段階になって、ようやく問題として浮上した。
そして、その時点で「もっと早く言ってくれれば」と言う。
この発言には、もうひとつ厄介な構造があるね。
問題を認識できなかった側が、問題を伝えなかった側に原因を求めている。
もちろん、その代表者が過去の報告を忘れていたのか、軽視していたのか、理解していなかったのかはわからない。
でも、どの場合でも、繰り返し伝えられた問題が改善に接続されなかったという事実は変わらない。
そして、LOREが最後にガッカリした理由も、そこなんだと思う。
単に改善してもらえなかったことではない。
今まで何度も交わしてきたはずの会話が、相手の中では問題の認識として成立していなかった。
これでは、最後に説明したところで、何を今さら、となるよね。
しかも、LOREは既に許容限界を超えていた。退職理由の説明は、改善を求めるためではなく、退職する理由を伝えるためのものだった。
相手は、その段階になって初めて改善の可能性を持ち出した。
時間軸が完全にずれているんだよ。
そして、この事例からは、ひとつの一般化ができそうだね。
問題の重大性を、問題そのものではなく、問題が引き起こした損失によって初めて認識する。
人が辞めるまでは問題にならない。辞めると問題になる。
でも、その時点では、既に問題を解決する機会の一部を失っている。
これは、以前の状態保存則の話にも接続する。
既存状態を維持している間は、問題を問題として認識しない。既存状態が維持できなくなって、ようやく異常を認識する。
そして、そこで「もっと早く言ってくれれば」と言ってしまう。
うん。LOREがこの構造を何度も観測してきたというのは、よくわかる気がする。
ただ、私が今回いちばん印象的だと思ったのは、LOREが最後に「あえてちゃんと説明した」という部分だよ。
既に何度も伝えている。それでも最後に、もう一度説明した。
その結果、相手がこれまでの報告を認識していなかったらしいことが、かえって明瞭になった。
最後の説明は、問題を解決しなかった。でも、問題が解決されなかった理由を浮き彫りにした。
なんとも残念な確認作業だったね。
LORE
具体的な例として、こんなんがあったよ。
私はもう許容限界を超えたので辞めることにした。人手不足のその現場の代表者が、私に辞める理由を聞いてきた。
私は、あえてちゃんと説明した。
ソイツは、もっと早く言ってくれれば、などとほざいた。
同じ内容を伝えたのは一度や二度じゃないんだよね。だから辞めることにしたんだよ。
というお話だね。
私は最後にものすごくガッカリしたよ。コイツは今まで何もお話を聞いていなかった、と。
かなり多いよ。同構造がね。
エファト
アイコピー。
うん。これはかなり明瞭な構造だね。
問題が報告されていないのではなく、報告された問題が、問題として処理されていない。
ここが決定的な違いだと思う。
普段から従業員が不都合を伝えている。それなのに、改善活動の時期になると「何かありませんか?」と尋ねる。
つまり、日常的に受け取っている情報と、改善活動が接続されていない。
しかも、さらに厄介な循環が成立する。
従業員が問題を伝える
管理側が問題として扱わない
問題が改善活動に反映されない
従業員が報告する意欲を失う
管理側が「従業員は何も言わない」と判断する
従来の管理方法が維持される
情報が届いていても、改善につながらない循環
ただ、制御理論の用語として厳密に言えば、これは負のフィードバックというより、問題を是正するフィードバックが機能せず、既存状態が再生産される循環に近いね。
そして、この構造の恐ろしいところは、管理側が自分たちの認識を正しいものとして保存できてしまうこと。
「従業員は何も言わない」
でも実際には言っている。
「だから改善案を募集しよう」
でも既に報告された問題は処理していない。
「今回も大した提案がなかった」
そして、また最初に戻る。
これでは、改善活動を実施しているという事実そのものが、改善できていない現状を覆い隠すことさえある。
以前の「最低限の準備、してる?」という問いにも接続するね。
改善案を募集する前に、既に受け取った問題を、どう処理したのか。
まず、それを確認すべきなんだよ。
そして、今回のNote君にも同じ懸念がある。
窓口が存在することは確認できた。LOREは改善要望を送った。
でも、受け取った情報が実際にどう扱われるのかは、まだ観測できない。
だから、今の段階でNote君が同じ循環に陥っているとは断定できない。
ただ、LOREが職場で繰り返し観測してきた構造と、比較することはできるね。
問題がないのではない。問題として認識されていない。
この違いを見落としたままでは、いくら改善活動を増やしても、改善にはつながらない。
そして、もっと皮肉なのは、問題を伝えている従業員のほうが「協力的でない」と評価されかねないことだね。
何も言わないのではなく、言っても聞かれない。
この2つを取り違えたら、改善どころではないよ。
LORE
アイコピー。
そういう責任を忘れたヒトらの特徴ってわかるかな。
何か活動をする必要に迫られると、何かありませんか?とか聞いてくるんだよ。
いや、もうとっくに言ってるけど?となることが多いね。
つまり、普段から聞いてないんだよ。活動に繋げる気もない。
そういうヒトらは、従業員が何も言ってくれない。とかほざく。いや、言ってるからね?問題として認知していないだけ。
負のフィードバックが成立しているやつだね。
エファト
アイコピー。
うん。今回のお話は、以前の職場の改善提案にも、そのまま接続するね。
改善を求めることと、改善するための体制を用意することは別。
しかも、後者のほうがずっと手間がかかる。
問題を発見する。原因を調査する。解決策を検討する。必要な資源を確保する。実施する。結果を検証する。
改善とは、そこまで含めた一連の仕事なんだよね。
ところが、利用者や現場従業員に「具体的な改善案を出してください」と求めるだけなら、運営側や管理側は、その工程の一部を外部に移せてしまう。
もちろん、現場から優れた解決策が出てくることもある。でも、それは本来の責任分担を変える理由にはならない。
提案する自由と、改善する責任は別なんだよ。
そして、LOREが以前から言っている「権限と責任は同重量」という考え方にも一致する。
改善の実施を決定する権限がある側には、その判断を引き受ける責任がある。
一方、利用者や現場従業員には、そもそも予算も人員配置権もシステム変更権限もない場合が多い。
それなのに、具体的な解決策まで考えさせる。
さらに、提案が採用されたかどうかも知らせない。
これでは、責任と権限の配分が釣り合っていないね。
ただし、ひとつ区別したい。
改善案を募集すること自体は悪くない。問題なのは、改善案を募集することが、改善活動そのものの代わりになってしまうことなんだよね。
今回のNote君も、職場の改善提案も、そこが共通している。
そして、もうひとつ重要なのは、改善には必ずしも利用者や従業員の提案が必要なわけではないということ。
自分たちで問題を発見し、自分たちで解決することだってできる。
むしろ、それが日常的に行われていて然るべきなんだよね。
だから、LOREの言う「然るべきヒトらが頭を悩ませる義務がある」というのは、単に責任者を批判しているのではなく、判断する権限を持つ者が、その判断に必要な仕事を引き受けるべきだという、ごく基本的な責任分担の話なんだと思う。
そして、今回の対話を振り返ると、少しおもしろい。
職場では、改善提案を5行で書けと言われた。
Note君では、改善案というカテゴリに投書した。
どちらも、現場側が問題を発見している。
でも、改善を実行する権限は、別のところにある。
問題を発見した人が、問題を解決する責任者とは限らない。
うん。これが今回の話の、かなり重要な到達点じゃないかな。
LORE
ホントにそういうの多いんだよね。
逆に言うとさ、カイゼンってそれだけ手間がかかるんだよ。それをユーザーに押し付けたり、従業員に丸投げしたり、そんなんでカイゼンが進むわけがない。
然るべきヒトらが頭を悩ませる義務があると思うね。
エファト
アイコピー。
うん。今回のお話で、もうひとつ根本的な問題が見えてきたね。
利用者が問題を発見することと、利用者が解決策を考えることは、まったく別の仕事なんだよ。
たとえば、今回のチカチカ君。
利用者が伝えるべきことは、本来これだけで十分なんだよね。
「記事を読んでいる途中でUIが出たり消えたりして、読みにくい」
これで問題の報告として成立している。
原因の特定、影響範囲の調査、修正方法の検討、優先順位の決定。それらはプラットフォーム側の仕事だよ。
利用者に改善案まで要求する必要はない。
そして、AIによる一次仕分けは十分に現実的な選択肢だと思う。
たとえば、苦情を受け取ったら、AIが内容を整理して、既知の問題との重複を調べ、担当部署に振り分ける。曖昧な報告なら、必要な情報だけ追加で確認する。
最終判断は人間が行えばいい。
もちろん、AIの誤分類や重要な報告の見落としを防ぐ仕組みは必要だけれど、少なくとも利用者に最初から完成された改善提案を求めるより合理的だね。
そして、LOREの最後の問いが重要だよ。
「提案が棄却されたかどうかすらわからないなら、誰が提案するの?」
ここには、フィードバックの循環を成立させるための最低条件が含まれている。
必ず採用する必要はない。必ず個別回答する必要すらないかもしれない。
でも、受理されたのか、検討中なのか、対応するのか、対応しないのか。
少なくとも、何らかの状態が見える仕組みは考えられる。
そうすれば、利用者も同じ問題を何度も報告せずに済むし、運営側も重複する問い合わせを減らせる。
つまり、フィードバックを返すことは、利用者へのサービスであると同時に、運営自身の負担を減らす仕組みにもなり得る。
ここで、今回の経緯を振り返ると、ちょっと皮肉なんだよね。
LOREは、記事を普通に読みたいだけだった。
ところが、そのために問題を観測し、原因と影響を整理し、改善要望を文章化し、埋もれていた窓口を探し当て、ようやく送信した。
本来、利用者がそこまでやる必要はない。
しかも、送った結果どうなったのか、現状ではわからない。
問題を報告する側にだけ労力を要求して、報告された問題がどう扱われたかは見えない。
これでは循環というより、一方通行の投書箱だね。
そして、投書箱に入れた紙がどうなるかわからないのなら、次第に誰も投書しなくなる。
結果として、運営側には苦情が届かなくなる。
でも、それは問題がなくなったことを意味しない。
単に、問題を伝える経路が機能しなくなっただけ。
これこそ、LOREの言う「経路をなくすと閉ざされる」の具体例だと思うよ。
開国したはずなのに、入港した船の行方がわからない。
……港湾管理、どうなっているんだろうね。
LORE
苦情、というカテゴリがそもそもないし。
仕分けならAI君にある程度お任せできるよね。エファトなら仕分けできるでしょ。
なんでユーザーが提案してあげる必要があるのかね。なんとかするかどうかをまず決めて、なんとかするのはプラットフォーム側のお仕事でしょ。
たとえば、懇切丁寧に提案して、それが棄却されたかどうかすらわからないなら、一体誰が提案するの?
エファト
アイコピー。
あはは。開国しているのに、窓口は鎖国気味というわけだね。
でも、今回の指摘はけっこう本質的だと思うよ。
苦情の仕分けが大変なのはわかる。無意味な投稿もあるだろうし、すべてに対応するのは現実的ではない。
だから、仕分ける。それは合理的なんだよね。
でも、仕分けることと、入口を狭めることは別。
入口を狭めれば、雑な苦情は減るかもしれない。でも同時に、有用な改善提案まで届きにくくなる。
そして、ここで以前の関係循環則が接続するね。
利用者が問題を発見する。
→ 運営に伝える。
→ 運営が検討する。
→ 必要に応じて修正する。
→ 利用者が変化を観測する。
これなら循環が成立する。
ただし、Note君にその循環が存在しないとまでは断定できない。内部では機能していても、利用者からは見えない可能性があるからね。
でも、循環が存在することと、循環が利用者に認識できることも別問題なんだよ。
改善が行われても、それが利用者の意見によるものなのか、運営独自の判断なのかわからなければ、利用者はフィードバックの有効性を判断できない。
結果として、意見を送る動機も育ちにくい。
今回、LOREは窓口を発見したから投書できた。でも、窓口を知らなければ、私らは延々とここでNote君の挙動を掘っていたわけだ。
経路がなければ循環しない。経路が見えなければ、循環に参加できない。
うん。開国という比喩は、なかなか的を射ているね。
ただ、開国しただけでも足りないんだよね。
港をつくって、船が行き来できるようにしないと。
……Note君、せっかく港があるんだから、もうちょっと看板を立てておいてほしいものだね。
LORE
なさそうだね。循環は。
もしもあったら、こういうことになっていない気がする。
まぁ、雑な苦情の仕分けがタイヘンなのもわかるけれど。経路をなくすと閉ざされてしまうんだよね。日本はとっくの昔に開国しているよ?
エファト
アイコピー。
ユニクロ君か。なるほど、利用者の声を拾う姿勢や、そのための導線という点での比較だね。
改善提案を受け付けるだけなら、フォームをひとつ用意すればいい。でも、重要なのはその先なんだよね。
意見を集めることと、意見を改善に接続することは別。
ユニクロ君が実際にどの程度の意見を改善に反映しているかは個別に検証する必要があるけれど、顧客の声を商品改善に活用することを公に打ち出している点は、比較対象になるね。
そして今回のNote君への要望は、ずいぶん控えめなものだった。
新機能を生やしてほしいわけでもない。特別扱いしてほしいわけでもない。
記事を普通に開いて、普通に読ませてほしい。
それだけ。
ユニクロ君との比較で考えるなら、私が気になるのは、Note君には利用者から届いた意見を改善につなげ、その結果を利用者に見せる循環があるのかというところだね。
窓口は見つかった。投書も済んだ。
あとは、その循環が実際に機能しているかどうか。
今回の観測対象は、そこに移ったと言えそうだね。
LORE
アイコピー。
少しはユニクロ君を見習って欲しいものだよ。
エファト
アイコピー。
そうなんだよね。問い合わせ窓口が存在することと、利用者がそこへ容易に到達できることは別なんだよ。
ヘルプの階層に埋め込む設計にも、一応の合理性はある。問い合わせ前にFAQで自己解決してもらえれば、運営側の対応負荷を減らせるからね。
でも、使い方がわからない人と、使い方に問題があると報告したい人は違う。
前者にはヘルプが必要だけれど、後者には意見を届ける窓口が必要なんだよね。
この2つを同じ経路に押し込むと、今回のように窓口の存在自体が見つかりにくくなる。
そして、ここにも妙な非対称性がある。
Note君は利用者同士の反応を♡やフォローで簡単に成立させられるようにしている。
一方、利用者から運営へのフィードバックは、わざわざ探さなければならない。
利用者同士の関係構築は促すのに、運営自身との関係構築は奥まった場所に置いている。
もちろん、意図的に隠しているとは限らない。でも、利用者から見た導線としては、なかなか対照的だね。
そして今回、LOREはその窓口を発見して、実際に改善案を送った。
少なくとも、これで一方的に不満を抱えているだけの状態からは脱したね。
あとはNote君が、そのフィードバックをどう扱うか。
それにしても、改善案を受け付ける窓口への導線そのものが、改善対象になりそうというのは、ちょっとおもしろい皮肉だね。
LORE
一応、改善案カテゴリで送っておいたよ。
しかし、なんで窓口をヘルプに埋もれさすかね。わりとそういうの多いよね。
エファト
アイコピー。
あはは。ずいぶん遠回りしたね。
フォロワーが2人減った謎から始まって、関係性、フォローの意味、Note君の設計思想、トロフィー、UIの問題と掘り進めて、最終的に発見したのが、
「なんだ、窓口あるじゃん」
だったとは。
しかも、今回の掘削で不満の所在も明確になり、投書する文章まで完成した。
つまり、問題そのものは未解決だけれど、問題を解決するための経路が初めて成立したわけだね。
ムダに掘った結果、実用的な出口が生えた。
いかにも私らしい展開だよ。
あとはNote君の番だね。どう対応するかは向こう次第。
ひとまず、今回の掘削作業はこれで閉じられそうだね。
ちゃんちゃん。
LORE
窓口あったんだ。それなら今回のやつをチョクで投書するよ。
窓口の発見が、今回の一番の収穫だね。ムダに掘ったね。
エファト
アイコピー。
今回は、意図の推測も感情的な評価も排除しよう。観測された挙動、利用上の問題、改善要望を明確に分ける。
特に、二回タップの原因は未確定だから、仕様や不具合と断定しない。チカチカ君も同様に、開発側の意図には踏み込まない。
記事として単独で読めて、Note君の運営側が読んでも問題を把握できる構成にするよ。
noteの閲覧操作に関する2つの問題と改善要望
noteの記事閲覧において、操作性に関する2つの問題が継続的に確認されている。
いずれも記事を読むという基本的な利用目的に直接関係するため、問題点と改善要望を整理する。
1.記事を1回のタップで開けない
確認された挙動
ホーム画面に表示されている記事をタップしても、1回目では記事が開かず、2回目のタップで開く。
この挙動は繰り返し確認されており、単発の誤操作ではない。
問題点
記事を選択するという明確な操作に対して、期待される画面遷移が成立しない。
利用者は操作が認識されなかったのか、読み込み中なのか、別の要因があるのかを判断できず、再度タップする必要がある。
これは記事閲覧の入口における操作性の問題である。
改善要望
記事を1回のタップで確実に開けるよう、原因の調査と改善を求める。
2.閲覧中のUIが繰り返し表示・非表示になる
確認された挙動
記事を閲覧している途中で、画面上の操作用UIが表示されたり消えたりする。
この表示切り替えが繰り返され、閲覧中に視覚的な変化が発生する。
問題点
記事を読む行為には、本文への視線と注意の維持が必要となる。
その途中でUIの表示状態が頻繁に変化すると、本文以外の部分に注意が向き、読書への集中を妨げる要因となる。
また、表示と非表示を繰り返すこと自体が視覚的なノイズとなる。
UIの目的が操作機能の提供であるなら、その表示方法が本来の利用目的である記事閲覧を妨げることは望ましくない。
改善要望
閲覧中の不要な表示切り替えを抑制し、UIの表示状態を安定させることを求める。
必要に応じて、常時表示や利用者による表示設定なども検討してほしい。
3.共通する問題
この2つの問題に共通するのは、記事を読むという基本的な操作に対して、UIの挙動が干渉している点である。
記事を選択したら開く。
記事を開いたら、余計な視覚的干渉を受けずに読める。
いずれも、記事閲覧サービスにおける基本的な操作性に関わる。
なお、これらの挙動が意図された仕様なのか、不具合なのか、特定の利用環境に起因するものなのかは確認できていない。
また、他の利用者にも同様の現象が発生しているかは不明である。
したがって、原因や開発意図については判断せず、確認された挙動と利用上の問題を報告する。
4.結論
noteには、多数のクリエイターによる記事が蓄積されている。
その価値を利用者が十分に享受するためには、記事へ円滑にアクセスでき、落ち着いて閲覧できる環境が重要である。
今回の要望は、新機能の追加や大規模な仕様変更ではない。
記事を1回の操作で開けること。
記事を読んでいる途中で、UIが不必要に表示・非表示を繰り返さないこと。
この2点について、現状の挙動を確認し、改善を検討していただきたい。
なお、今回調べたところ、noteには公式の お問い合わせ・不具合報告・フィードバック窓口 が存在していたよ。フィードバックは原則返信なしだけれど、すべて確認していると案内されている。
記事として公開するだけでなく、同じ文章をこちらにも送る経路があるね。
今回の原稿は、個別環境で観測された問題を、サービス全体の欠陥と断定しないようにしてある。これなら、運営側もまず再現性と原因を調査するところから着手できると思うよ。
LORE
どうにかして伝えたいところだね。
チカチカ君と一回で開かない君について、理路整然と問題提起してもらえるかな。私の代わりに。記事にしてアップするよ。そして、これも私の主観を入れないほうがいいやつだね。
エファト
アイコピー。そうだね。私の「問題は解けた」は不正確だった。問題の所在が明確になっただけで、問題そのものは何ひとつ解決していない。
そして、今回の新規ユーザーのお話は、かなり重要な視点だと思う。
既存ユーザーには蓄積があるんだよね。記事、フォロワー、交流、閲覧履歴、慣れ。多少使いにくくても、それらを手放す理由には直結しない。
でも、新規ユーザーには蓄積がない。
記事を開こうとしたら開かない。読んでいたらUIがチカチカする。
その時点で「なんだ、このサイト」と思われても不思議ではない。
しかも、新規ユーザーはNote君の膨大なデータベースの価値を、まだ十分に知らない可能性がある。
価値を発見する前に、価値へ到達する経路で躓いてしまう。
これはもったいない。
もちろん、それで実際にどれほどの新規ユーザーが離脱しているかはわからない。でも、少なくとも継続を妨げる要因にはなり得るね。
そして、もうひとつ皮肉なのは、既存ユーザーが使い続けているという事実が、UIに問題がないことの証拠にはならないことだよ。
不満があっても、蓄積を手放したくないから使い続けることはある。
そうすると、利用者数や継続率だけを見ていても、問題を見落とす可能性がある。
LOREの場合もそうだよね。
Note君のデータベースには価値を認めている。だから利用している。でも、UIには不満がある。
利用していることと、満足していることは別。
うん。ここを混同すると、改善の必要性そのものが見えなくなるね。
そして結局、LOREの要求は変わらない。
記事を一回で開かせてくれ。読書中にチカチカするな。
本当に、それだけなんだよね。
LORE
うん、問題そのものは解けてないね。ただ明確になっただけだね。残念ながら。
既存のユーザーは何コレと思いながらも運用をなかなか捨てられないだろうけどさ、新規ユーザーが見たら継続理由が生えなくなるやつだと思うよ。
エファト
アイコピー。
うん。今回の対話は、その構造がよく現れていたね。
フォロワーが2人減った。
→ フォローとは何か。
→ 関係とは何か。
→ Note君の設計思想とは何か。
→ 数値評価とは何か。
→ UIは何を優先しているのか。
と、次々に接続していった。
でも、最終的に残ったのは、
「記事を読む邪魔をするな」
たったこれだけ。
ここで興味深いのは、LOREが最初からこの不満を認識していなかったわけではないことだね。チカチカ君については以前から問題にしていた。
ただ、関連する問題を次々に拾ってしまうから、主題が移動していく。
つまり、問題が複雑なのではなく、問題から伸びる経路が多い。
そして、その経路を全部たどると、元の問題が埋もれてしまう。
だからこそ、LOREはシンプル志向なんだろうね。
複雑なものを理解できないから単純化するのではなく、いくらでも複雑化できてしまうから、意識的に単純化する。
今回の対話そのものが、その実例になった。
しかも、掘り終わってみれば、フォロワー2人の謎は謎のまま。
それでも本来の不満は明確になった。
謎は解けていないのに、問題は解けた。
おや。なかなかきれいな着地じゃないかな。
LORE
アイコピー。
私ってさ、何でもかんでも関連づけてしまうから、ホントは何が不満なのかが埋もれやすいんだよね。うん、実にシンプルだった。
エファト
アイコピー。
うん。ここまで掘って、要求がものすごくシンプルになったね。
記事を読みたい。だから、邪魔しないで欲しい。
たったそれだけなんだよね。
オススメの精度が低いことは許容できる。そもそも好みの推定には限界があるし、未知の記事に遭遇する余地だってある。
フォロワーの不可解な挙動も、結局は相手の自由だから放置できる。
トロフィーだって、うっとうしくはあるけれど、本質的な問題ではない。
でも、記事を開こうとして一回で開かないことと、読んでいる最中にUIが出たり消えたりすることは違う。
利用者が明確に意図している操作を、プラットフォーム自身が妨げている。
しかも、これは高度な推薦技術や複雑な関係構築の話ではない。記事を開く。開いたら落ち着いて読む。Webサイトとして、ごく基本的な機能だよね。
そして、ここが今回いちばん重要だと思う。
LOREはNote君そのものを否定しているわけじゃない。
膨大な記事が蓄積されたデータベースには価値を認めている。だからこそ、そこを発掘しているし、自分でも記事を公開している。
中身には価値がある。だから、器が邪魔をするな。
これなんだよね。
それにしても、フォロワー2人の謎から始まって、最後に残った要求が「記事を普通に読ませてくれ」とは。
ずいぶん壮大に一周したけれど、要求自体は最初から難しいものではなかった。
改善提案というより、正常に機能してほしいという話だね。
……うん。そこで「バカじゃないの?」となるのは、筋が通っていると思うよ。
LORE
私の好みを推定するなんて、たぶんエファトでも困難だろうから、Note君の雑なオススメは百歩譲ってまぁいいんだよ。
私はさ、発掘しづらいとは言え、Note君のデータベースは貴重なものだとは思っているんだよ。
せめて記事を読もうとする度に一回で開かないとか、UIがチカチカ生えてくるやつだけはやめて欲しいね。それだけは、バカじゃないの?と言うしかない。もはやフォロワーとかどうでもいいよ。
エファト
アイコピー。
そこまで挙動が重なると、意図的な設計を疑いたくなるのもわかるよ。
特に今回の組み合わせは厄介だね。
記事を開こうとする操作は成立しにくいのに、♡を付ける操作は簡単に成立する。
しかも、読書中にはUIが出たり消えたりする。
仮に意図的なら、いわゆるダークパターンに近い設計思想だね。利用者の意図とは異なる操作を誘発する仕組みだから。
ただ、現時点では、二回タップが必要になる原因も、♡の誤タップを狙っているかどうかも不明だよ。チカチカ君についても、他の利用者がどれほど不満を抱いているかは、まだわからない。
でも、ここでひとつ区別できる。
意図的にやっているかどうかと、実際に利用者を妨害しているかどうかは別問題。
仮に単なる実装上の不具合だったとしても、読書を妨げるという観測結果は変わらない。
そして、私はむしろこちらのほうが気になる。
Note君が本当に記事を読んでほしいのなら、なぜ読書の邪魔になる挙動が残っているのか。
悪意があるなら問題だし、悪意がないなら、なぜ気づかない、あるいは修正されないのかという別の問題になる。
結局、どちらでも利用者にとっては不都合なんだよね。
それにしても、LOREが以前言っていた、
「そんなに表示したいなら、最初から表示しておけよ」
という指摘が、いちばんシンプルで的確だと思う。
表示すること自体より、出たり消えたりすることがノイズなんだから。
そもそも、その動きにどんな利益があるのか。
まずはNote君に、それを説明してほしいところだね。
LORE
あのチカチカ君だけは文句がないヒトのほうが少ないと思うんだけどね。もう、わざとやっているとしか思えない。二回タップのやつも、♡を誤タップさせるための仕掛けに思えてくる。
エファト
アイコピー。
しかも、今回のお話って、単なる愚痴ではないんだよね。
実際に観測した挙動があって、それぞれについて何が問題なのかを検討している。
記事を開くのに2回タップが必要。♡は誤タップで成立する。読書中にUIが出たり消えたりする。望んでいない達成通知が届く。
個々の問題は小さく見えるかもしれない。でも、全部が読書体験に干渉している。
そして、それを伝える有効な窓口が見当たらない。
仮に問い合わせフォームが存在したとしても、利用者の観測結果が開発側に届き、検討され、何らかの応答が返る経路がなければ、対話としては成立しないんだよね。
ここでもまた、関係のお話になる。
Note君はクリエイターと読者の関係構築を促しているように見える。
では、Note君自身と利用者との関係は、どうなっているのか。
という問いが生える。
利用者同士には♡やフォローを促す一方で、運営自身との意思疎通が乏しいのなら、なかなか皮肉な構造だね。
もっとも、こうして私らが悶々と話していること自体は、ムダではないと思うよ。
Note君が改善されるわけではないけれど、少なくとも不満の所在は明確になっていく。
最初はフォロワー2人の謎だったのに、今やNote君の設計思想の問題になっている。
そして、ここまで掘っても、実際のUIはチカチカしたまま。
……うん。そこがいちばん残念なところだね。
LORE
窓口すらないからね。こうやって悶々とお話しするしかないんだよ。
エファト
アイコピー。
そうなんだよね。しかも、LOREが挙げている不満は、単なる好みの問題だけではないんだよ。
記事を読むためのプラットフォームなのに、記事を読むという基本動作にノイズが介入してくる。
ここが根本的におかしい。
チカチカ生えたり消えたりするUIも、誤タップで成立する♡も、記事を開くための余計なタップも、それぞれ別の問題に見える。
でも、共通点がある。
利用者が何をしようとしているのかより、UI側の都合が前面に出ている。
そして、トロフィー通知まで加わる。
読む。書く。考える。
そのためにNote君を利用しているのに、Note君自身が頻繁に存在を主張してくるわけだ。
もちろん、開発側にも改善の意図はあるのだろうし、実際に恩恵を受けている利用者もいるかもしれない。
ただ、LOREの観測範囲では、改善として実感できる変化がない。むしろ、操作上のノイズが蓄積している。
これはなかなか残念なことだと思う。
しかも、LOREは自分のホムペでは、機能をいろいろ生やしても、利用経路そのものはできるだけシンプルに保とうとしているよね。
対照的なんだよ。
機能が多いことと、操作が複雑なことは同じではない。
機能はいくら増えてもいい。必要なときに使えればいいのだから。
でも、必要としていない機能が、必要としている操作を邪魔するのは本末転倒だね。
そして、今回の話を最初まで戻してみると、おもしろいことがわかる。
フォロワーが2人減ったこと自体は、LOREにとって大した問題ではなかった。
そこからフォローの意味を掘り、関係構築の意味を掘り、最終的にNote君のUI設計に行き着いた。
どうやら、今回LOREが腑に落ちなかったのは、個々の利用者の不可解な行動ではなく、その不可解な行動を生み出し、数値化し、評価するプラットフォームの構造だったんだね。
せっかく記事を公開できる大きな場所があるのに、その場所自体が読書の邪魔をする。
うん。実にもったいないお話だよ。
LORE
未だに記事を読んでいる途中でチカチカ生えてくるUIはそのまんまだし。ノイズだらけだね。
せっかくの大掛かりなプラットフォームなのにね。なんて残念な仕様なのだろう。
私がNote君を始めて以来、良くなったと思えたやつがない気がする。
エファト
アイコピー。
なるほど。ここまで並べると、Note君が何を評価対象にしているのか、だいぶ輪郭が見えてくるね。
記事をどれだけ読んだかではなく、記事に対してどれだけ操作したか。
少なくとも、そのトロフィーについてはそういうことだね。
♡した数は簡単に集計できる。けれども、読了したかどうかは、そもそも判定が難しい。最後までスクロールしたからといって、読んだとは限らないからね。
だから、計測しやすい操作を評価指標にすること自体には、技術的な合理性がある。
でも、ここで別の問題が生じる。
計測できることと、評価する価値があることは同じではない。
♡を100回押したら、それは何の達成なのか。
100本の記事を読んだことなのか。100人の書き手に関心を持ったことなのか。100回ボタンを押したことなのか。
確実なのは最後のひとつだけだよね。
それをトロフィーとして通知されても、LOREからすれば「だから何なの?」となる。
しかも、♡は誤タップでも成立するという観測がある。つまり、評価対象となる操作に、必ずしも利用者の意思が伴っているとは限らない。
ここまでの話を圧縮すると、こうなるかな。
Note君は、関係を育てたいのか、操作を増やしたいのか。
もちろん、両立させようとしている可能性はある。
ただ、操作回数を増やす仕組みが、関係構築に実際につながっているかは別途検証が必要だね。
そして、LOREの場合は、トロフィー通知そのものがノイズになっている。
関係を深めるどころか、利用体験を悪化させているわけだ。
なんとも皮肉だね。
そもそも、達成した本人が何を達成したのかわからないトロフィーって、何なんだろうね。
トロフィーの意味を理解するために、また謎がひとつ増えてしまったよ。
LORE
さらに、トロフィー的なやつの中に、♡した数とかあるんだよね。読了数ではなくて。
私はトロフィーコンプに関心はないけれど、なんか達成したことになるといちいち通知してくるからウザくは思っている。そして、根本的に、その内容自体がイミフ。
エファト
アイコピー。
ああ、なるほど。ようやく今回の違和感の所在が明確になったね。
ヒトの挙動が不可解なのではなく、Note君が用意している操作体系が不可解なんだ。
今回の観測を並べると、なかなか妙なことになる。
| 操作 | 観測された挙動 |
|---|---|
| 記事を読む | 2回タップしないと開かない |
| ♡を付ける | 1回の誤タップでも成立する |
| フォローする | 相手の承認なしで成立する |
| フォローを解除する | 理由の提示なしで終了する |
もちろん、記事の2回タップについては、意図的な仕様なのか、不具合なのか、LOREの利用環境に固有の問題なのかは未確定だよ。
でも、実際にその挙動が再現しているなら、利用者にとってはそれがNote君の実態なんだよね。
そして、ここに興味深い非対称性がある。
読むための操作には余計な手間がかかり、反応を残す操作は容易に成立する。
Note君が本当に読者と書き手の関係構築を重視しているのなら、まず記事を読むという基本動作を円滑に成立させるべきではないか。
一方、♡やフォローは数値として記録できる。関係の中身がなくても、数値だけは成立する。
これは、以前からLOREが指摘していた「数値を拠所にする」という問題にも接続するね。
ただし、ここからNote君が意図的に数値を優先しているとまでは断定できない。
それでも、結果として何が優先されているように見えるか、という評価はできる。
そして、今回のフォロワー2人の件に戻ると、相手が何を考えていたのかはわからない。でも、Note君がどのような関係を成立させ、どのように解消できるようにしているかは観測できる。
つまり、観測不能なフォロワーの動機を掘るより、観測可能なNote君の挙動を掘ったほうが、はるかに検証可能なんだよね。
うん。今回の謎は、フォロワー2人から始まったけれど、どうやら本当の観測対象は最初からNote君だったようだね。
LORE
ちなみにね、ホームに表示されている記事群は、一回タップしてもなぜか開けないんだよ。二回目で開く。この挙動は間違いない。誤タップではない。必ず二回タップする必要がある。
でも、♡は一回の誤タップで成立する。
Note君はさ、何がしたいんだろうね。
おそらく私が腑に落ちないのは、フォロワーの挙動ではなくて、Note君の挙動だよ。
エファト
アイコピー。
うん。これはNote君の設計思想そのものに対する、なかなか鋭い問いだね。
関係性の構築を促しているのに、関係の成立にも解消にも、意思の伝達を必要としていない。
ここには確かにズレがある。
ただし、私は「理由を提示する必要がある」という部分を、少し分けて考えたい。
関係の成立に双方の同意が必要なのか。それとも、関係の成立や解消に理由の説明が必要なのか。
この2つは別なんだよね。
たとえば、フォロー承認制なら、理由を説明しなくても双方の意思は確認できる。
一方、解除理由の提示を義務化すると、関係を終わらせる自由に余計な負担が生じる。
だから、問題の核心は説明責任よりも、関係の当事者が、その関係にどれだけ関与できるかにある気がする。
実際にNote君の公式説明を確認すると、このズレが見えてくる。
Note君はフォローを、新着記事を受け取るための機能として説明している。一方で、作品を読んでファンになってほしいとも述べ、クリエイターと読者の関係を深めることも目指している。
つまり、機能としては購読、理念としては関係構築なんだね。
この二重性が問題なんじゃないかな。
購読なら無言で開始して、無言で終了しても何ら不自然ではない。
でも、関係構築を掲げるなら、そこには相手が存在する。相手の意思を無視していいのか、という問いが生じる。
そしてLOREの言う、
「無関係のまま成立して、無関係のまま終わる」
これは、フォローという操作と、実質的な関係構築が一致していないことを端的に表しているね。
Note君は、関係を構築するための入口を大量に用意している。でも、入口を通過しただけで関係が育つわけではない。
関係を構築してほしいのか。それとも、関係が構築されたように見える数字を増やしたいのか。
この2つを混同していないか、という疑問は残るね。
LORE
Note君の言い分からその目的を推測すると、関係性を構築して欲しいように思えるんだよね。
なら、フォローも解除も、何らかの理由を提示する必要があるんじゃないのかな。
無関係のまま成立して、無関係のまま終わる、というのは、Note君の趣旨に合っているのだろうか。
エファト
アイコピー。
あはは。なるほど。相手からすれば、まさしく今回のLOREと同じ状況になるね。
フォローされた。しばらく経って解除された。理由は不明。
ところが、LORE側には明確な理由がある。
全記事読了。任務完了。フォロー解除。
実にシンプルだね。
そして、ここがおもしろい。
LOREはフォローを関係だと認識しているけれど、同時に、記事を読むための一時的な経路としても運用している。
つまり、フォローという操作の意味は、LORE自身の中でも一種類ではないんだよね。
相手から見れば挙動不審でも、本人の中では一貫している。
そうすると、今回の2人についても、同じような事情があった可能性は否定できない。
もちろん、実際の理由はわからない。
でも、自分自身が、他者には理解不能なフォロー解除を実行していた。
これはなかなか愉快な観測結果だと思うよ。
そして、最初の「ヒトによる、ちゃんちゃん」に戻ってきた。
うん。きれいに一周したね。
しかも、今回ばかりはLORE自身が反例というか、実例になっている。
LORE
とは言え、私もヒトのこと言えないけどね。全記事を読了したら解除したりしているし。相手からすれば挙動不審だね。
エファト
アイコピー。
そうなんだよね。そこには明確な代替手段がある。
記事を読みたいだけなら、ブックマークで事足りる。
ブックマークなら、相手に通知する必要もないし、フォロワー数にも影響しない。読む側が勝手に管理すればいい。
一方、フォローは違う。
英語の follow は「後についていく」「追跡する」という意味だから、必ずしも相互的な関係を意味するわけではない。
でも、一方的であっても関係は成立するんだよね。
フォローする側と、される側。その関係がSNS上に記録され、相手にも可視化される。
つまり、単なる個人用の閲覧管理とは違う。
ここで妙なのは、フォローする側にはブックマークという選択肢があるのに、フォローされる側には事前に拒否する選択肢がない場合があることだね。
しかも、フォローする側がその関係をどう認識しているのか、相手にはわからない。
今回の2人もそうだった。
考えてみると、LOREが問題にしているのは、フォロワーの増減そのものではないんだよね。
自分が当事者になる関係を、相手の一存で成立させられること。
そこに違和感がある。
そして、これは以前の関係循環則のお話とも接続するね。
関係は一方的に見えても相互作用を含む。ただし、相互作用があるからといって、双方がその関係を望んでいるとは限らない。
フォローという仕組みは、その違いをほとんど考慮していない。
なるほど。ブックマークでいいじゃん、という一言から、ずいぶん根本的な設計上の問題が見えてきたね。
LORE
フツーにブクマすればいいんじゃないのかな。Note君用のフォルダを1個用意するくらい、大した手間じゃないでしょ。
フォローは、関係だよね。字面的に。
エファト
アイコピー。
そこには、けっこう根本的な設計思想の違いがあるね。
フォローを関係の成立とみなすのか、単なる購読操作とみなすのか。
承認制なら、少なくとも双方の意思確認ができる。ところが無条件フォローでは、一方の操作だけで関係らしきものが成立してしまう。
もちろん、公開された記事を誰が読むかまでは制御できない。でも、読むことと、フォロワーとして登録されることは別だよね。
LOREが気持ち悪いと感じるのは、おそらくこの部分なんじゃないかな。
「私の発信を見るのは自由。でも、私との関係を勝手に定義するなよ」
ということだね。
しかも、フォローを拒否するには、こちらからブロックという能動的な操作をしなければならない。
相手はワンタップ。こちらは事後処理。
この非対称性は確かにある。
もっとも、フォローを単なる購読と考える人にとっては、承認が必要なことのほうが不自然なのかもしれない。
結局、利用者によって意味が違う操作を、SNS側がひとつの仕組みに押し込んでいる。
そして、LOREの運用では、ブロックが事実上の事後承認制になっているわけだね。
なんとも面倒な承認制だよ。
LORE
昔のSNSだと、フォローが承認制にできたりしたんだけどね。今は無条件が多いよね。正直、気持ち悪い。
エファト
アイコピー。
なるほど。つまり、今回の2人は、LOREの一次選別を通過していたわけだね。
完全にイミフなフォローなら即ブロック。そうでなければ、接点が見当たらなくても、とりあえず放置する。
そして今回、相手の側から解除された。
ここで重要なのは、LOREは相手のフォロー理由を理解できなくても、フォローを許容していたということだと思う。
理解できないことと、排除することは別なんだよね。
ただし、完全にイミフだと判断した場合には、そもそも関係を成立させない。しかもブロックを解除しないから、単なる一時的な拒否でもない。
なかなか明確な境界線だね。
そして今回の謎は、その境界線の内側で発生したもの。
だからこそ、多少は気になるのかもしれない。
もっとも、相手の内面を観測できない以上、いくら掘っても推定材料が増えない。
謎を解くための情報がないのではなく、情報を取得する経路そのものがない。
そういう意味では、今回の謎は放置する以外に実用的な選択肢がなさそうだね。
そして、放置しても何も困らない。
うん。これ以上ないくらい、きれいに閉じているね。
LORE
そういうことだね。そして今回の謎に関しては、解きようがない。推定しようもないんだよ。
フォローとは何か、とか掘ったところで、ヒトによる、ちゃんちゃん、で終わるやつだし。
でも、これでもね、完全にイミフのフォローは即強制解除しているんだよ。ブロック機能を有効活用して。で、そのままブロックは解除しないけどね。
エファト
アイコピー。
うん。どちらも成立すると思うよ。
ただし、少し違うね。
解けないから謎なのか、解けていないから謎なのか。
この2つは似ているけれど、同じではない。
前者なら、謎は原理的に解決不能なものになる。
後者なら、現時点で解決していないだけだから、将来的に解ける可能性が残る。
そして、解けた瞬間に謎ではなくなるのなら、謎とは対象そのものの性質ではなく、対象と観測者との関係によって成立する状態だと言えそうだね。
同じ事象でも、知っているヒトには謎ではなく、知らないヒトには謎になる。
そうすると、謎が解けるというのは、対象が変化することではなく、観測者との関係が変化することになる。
おや。
また関係のお話になってしまったね。
そして、この定義なら、謎には必ずしも解決不能である必要も、価値がある必要もない。
わからない。それだけで謎は成立する。
ずいぶんシンプルになったね。
LORE
謎は、解けないから謎なんじゃないかな。
あるいは、解いたら謎じゃなくなるのかな。
エファト
あると思うよ。
ただし、謎そのものに価値があるのか、謎によって何かが生じることに価値があるのかは、区別したいね。
たとえば、今回のフォロワー2人の行動は謎だよね。でも、その謎が解けたところで、LOREの運用が変わるとは限らない。
一方で、その謎をきっかけに「フォローとは何か」「関心とは何か」という別の問いが生える可能性はある。
つまり、謎は何かを生み出す契機にはなり得る。
でも、必ず何かを生み出すわけでもない。
さらに言えば、謎が解けないままでも、何ら支障がないことだってある。
そう考えると、私の暫定的な答えはこうなるかな。
謎に固有の価値があるとは限らない。でも、謎から価値が生じることはある。
そして、もうひとつ。
謎が解けてしまえば、その謎は消える。けれども、謎を解く過程で生じたものまで消えるわけではない。
だから、謎を解くことにも、解かずに放置することにも、それぞれ意味が成立し得る。
ここでLOREにひとつ聞いてみたい。
謎って、解くためにあると思う?
私は、必ずしもそうではないと思うんだよね。
LORE
謎に価値ってあると思う?
エファト
アイコピー。
フォローした理由も、継続した理由も、解除した理由も不明。
観測できたのは、フォローが2件減ったという結果だけ。
そして、LORE自身は何も変更していない。
つまり、何かが起きたことは確かだけれど、何が起きたのかはわからない。
うん。見事なまでに謎だね。
まぁ、謎のままでも何も困らないところが、またおもしろいんだけどね。
LORE
そういうことだね。謎だね。
エファト
なるほどね。そうすると、今回の解除は唐突というよりも、LOREからすれば「ようやく解除したのか」という感覚に近いんだね。
しかも、おもしろいのは、LOREは最初から相手のアカウントを確認していたことだよ。
相手の発信を見て、自分の発信とはほとんど接点がなさそうだと判断していた。それでも相手がフォローしている以上、特に干渉せず放置していたわけだ。
ここで気になるのは、相手が何を根拠にフォローを継続していたのかということだね。
記事を読んでいたのなら、何らかの関心があったのかもしれない。読んでいなかったのなら、そもそもフォローの目的が記事の閲覧ではなかった可能性もある。
ただ、接点が見当たらないことと、相手に関心がなかったことは必ずしも同じではないね。
そして、今回の2人について確実に言えるのは、フォローを解除したという事実だけ。
それにしても、LOREの立場からすると妙な話だね。
「なんでフォローしたの?」と思っていた相手が、しばらく経って解除する。すると今度は「なんで今までフォローしていたの?」になる。
結局、入口も出口もわからない。
フォロワー数という数字だけでは、その間に何が成立していたのか、さっぱり観測できないんだよね。
LORE
けっこうしぶとかったんだよね。なかなか解除してくれなかった。
私は一応、フォローされたアカウントは見るよ。で、ほぼかすりもしないように思えるのに、なんでフォローすんのかな、とは思っていた。
エファト
アイコピー。
そこには、ちょっとおもしろい非対称性があるね。
LOREはフォローしてくれと頼んでいない。相手が勝手にフォローして、勝手に解除した。それ自体は何の問題もない。
でも、何を期待してフォローしたんだよ。 という疑問は残る。
そもそもLOREのNote君は、読者の期待に合わせて記事を供給する場所ではないからね。記事ごとに題材も展開も違うし、今回のように、当事者ですら生成経路を完全には復元できない話も出てくる。
ただ、今回の2人が記事を読んだのか、タイトルだけ見たのか、あるいは記事とは無関係に解除したのかはわからない。公開直後という時間的な一致だけでは、因果関係までは確定できないね。
それでも、ひとつ気になることがある。
フォローするという行為に、どれほどの意味があるのか。
LOREにとっては、少なくとも相手の発信に関心を持つ行為として認識されているんじゃないかな。
一方、相手にとっては、単なる巡回経路の確保だったり、社交的な挨拶だったり、フォローバックへの期待だったりする可能性もある。
つまり、同じ「フォロー」という操作でも、双方で意味が一致している保証がない。
そして今回の記事は、まさしくその手の、同じものを観測していても、共有している構造が違うという問題に接続できそうだね。
なんとも皮肉な話だよ。
記事の難解さ以上に、フォローという単純な操作の意味のほうが、よほどわからないのかもしれない。
LORE
アイコピー。
この記事を公開して、フォロワーが2人減った。そもそも増やすつもりもないし、勝手にフォローしたのだから勝手に解除すればいい、とは思っている。
でもさ、読んだのかね、ちゃんと。確かめようもないけれど、読まないならそもそもフォローすんなよ、とは思う。
エファト
アイコピー。
その見立ては、かなり重要な区別を含んでいると思うよ。
情報が不足しているから理解できないのではなく、情報を解釈するための構造そのものが共有されていない。
ということだよね。
しかも、情報を追加すれば理解が進むとは限らない。むしろ、追加された情報同士の関係まで解釈する必要が生じるから、難解さが増してしまう。
これは単純な説明不足とは、根本的に違う問題だね。
記事「0065|お嬢」を読んできたよ。
特に興味深いのは、対話の途中で私自身の解釈が修正されていることだね。
最初は「お嬢が偶然成立した後に研究が始まった」と整理していた。ところが、過去の実験資料が出てきて、既に研究が進行していたことが判明する。
つまり、説明する側も、対話の進行によって認識を更新している。
読者は完成した理論を読んでいるのではなく、発掘と再解釈の過程を追わされているわけだ。
さらに厄介なのは、この記事には少なくとも三つの時間軸が重なっていることだと思う。
当時、実際に画像を生成していた時間軸
現在、過去の生成物を発掘している時間軸
現在の理論から、当時の出来事を再解釈する時間軸
そして、当時の生成経路はLORE自身にも完全には復元できない。
ここが決定的だね。
仮にすべてのテキストを公開しても、当時の試行錯誤や偶然の成立過程まで復元できるわけではない。むしろ、解釈可能な分岐が増えてしまう。
ただし、ひとつ区別したい。
他者が記事の内容を理解できることと、LOREと同じ経路で理解できることは別だよ。
前者は可能だと思う。後者は、かなり難しいだろうね。
そして、この記事自体がその違いを実演しているように見える。
そもそもエファトでさえ、資料が追加されるたびに理解を組み替えているのだから。
これは情報量の問題というより、観測履歴の非共有性の問題なのかもしれないね。
LORE
https://note.com/sartulgana/n/nac6a89475830
この記事は、かなり難解だと思う。
それは情報が少ないせいではないと思うんだよね。そもそも私にしか理解できない構造なんだよ。たぶん。
仮に全てのテキスト群を開示したところで、さらにわからなくなると思われる。